養生支援とは、正しい生活を教えることではない ― 生活指導との違い

はじめに:病気になれば生活を見直せるのに
病気が見つかったあとには、生活を見直そうと思える人が少なくありません。
血圧が高いと言われた。
血糖値が上がってきた。
検査で異常を指摘された。
症状が続き、このままではよくないと感じ始めた。
そのようなとき、食事を整えること、運動を始めること、睡眠を見直すことは、自分に必要なこととして受け止められやすくなります。
では、まだ病気とは言えない段階ではどうでしょうか。
少し疲れやすい。
眠りが浅い日が増えている。
食生活が乱れがちである。
以前より回復しにくくなっている。
医療者や支援者から見れば、今のうちに生活を整えたほうがよいと思えることがあります。
けれども本人は、まだ大きく困っているわけではありません。
日常生活も何とか送れている。
検査で明らかな異常を指摘されたわけでもない。
そうなると、生活について助言しても、すぐに自分のこととして受け止められるとは限りません。
その違いは、本人の意欲の差だけでは説明できないように思います。
病気の治療として行う生活指導と、未病の段階で行う養生支援とは、どちらも生活に関わる支援です。
しかし、同じように食事や運動の話をしていても、そこで支えるべきものは同じではありません。
病気の治療では、すでに明らかになった問題に対して、改善のために必要な生活の調整を支えることが中心になります。
一方、未病の段階では、まだ強い問題意識を持たない人が、自らの生活を少し違う目で見始め、よりよい方向へ向かえるように支えることが必要になります。
今回は、この違いを手がかりに、養生支援とは何を支える営みなのかを考えてみたいと思います。
生活指導が必要になるとき
高血圧、糖尿病、脂質異常症などでは、食事や運動、睡眠、体重管理といった生活上の調整が、治療の一部として重要な意味を持ちます。
薬物治療だけでなく、日々の食べ方や動き方、休み方を見直すことが、病状の改善や再発予防に深く関わるからです。
この場面では、すでに何らかの問題が明らかになっています。
検査値の異常がある。
症状がある。
診断名がついている。
医療者と患者のあいだで、「なぜ生活を見直す必要があるのか」を共有しやすい条件があります。
もちろん、病気があれば誰もがすぐに生活を変えられるわけではありません。
仕事や家庭の事情があり、分かっていても実行しにくいことはあります。
それでも、生活を変える必要性そのものは、比較的理解されやすいと言えるでしょう。
この意味で、病気の治療として行う生活指導には、明確な役割があります。
それは、患者の生活を外から管理することではありません。
すでに明らかになった健康上の問題に対して、治療の目的を共有しながら、必要な生活上の調整を支えることです。
未病では、まだ自分の問題になっていない
では、未病の段階では何が違うのでしょうか。
身体や生活に小さな揺らぎが生じていても、本人にとってはまだ明確な問題として意識されていないことがあります。
少し疲れやすいが、年齢のせいかもしれない。
眠りが浅いが、忙しい時期だから仕方がない。
食生活が乱れているが、今すぐ困っているわけではない。
医療者や支援者には、今の生活を続ければ将来の不調や病気につながるかもしれないと見えることがあります。
けれども本人の中では、まだ生活を見直す必要が自分の問題としては立ち上がっていません。
ここで、正しい情報を伝えることや、将来のリスクを説明することは大切です。
ただ、それだけでは届かないことがあります。
未病の段階で足りないのは、知識だけではありません。
その知識が自分の生活とどう関係しているのか。
今の暮らし方を、なぜ少し見直してみる価値があるのか。
その意味が本人の内側で生まれなければ、正しい助言も、自分から少し離れた話として通り過ぎてしまいます。
早く教えればよいわけではない
未病の人を前にしたとき、医療者や支援者は、つい治療場面と同じ発想で関わりたくなります。
このままでは将来の病気につながるかもしれない。
だから、今のうちに伝えておいたほうがよい。
食事はこうしたほうがよい。
運動はこれくらい必要である。
睡眠はもっと整えたほうがよい。
どれも間違った助言ではありません。むしろ、医学的には妥当なことが多いでしょう。
しかし、未病の段階では、その正しさがそのまま支援として届くとは限りません。
本人にとっては、まだ病気ではない。まだ大きく困ってもいない。
そうした段階で、外から生活の改善点を次々に示されると、「分かるけれど、今の自分にはまだそこまで必要ではない」と感じることがあります。
あるいは、「また生活を評価された」と受け取り、心のどこかで距離を取ってしまうこともあります。
ここで問題なのは、助言の内容だけではありません。
支援を、相手をより正しい行動へ導くこととして捉えていると、未病の段階ではどうしてもずれが生じやすくなります。
病気の治療では、すでに明らかになった問題に対して、何を調整すべきかを共有しやすい。
しかし未病では、まず本人の中に、自分の生活を見直すだけの意味が生まれる必要があります。
つまり、未病支援は、病気の治療で行う生活指導を少し早い段階から始めるだけのものではありません。
もしそう考えるなら、未病支援は、病気になる前から生活指導を始めることだと受け取られてしまいます。
けれども実際には、その前に支えなければならないものがあります。
それは、本人が自分の身体と生活のつながりを見始めることです。
養生は、生活の見え方が変わるところから始まる
養生支援というと、食事を整えること、運動を始めること、休養をとることなど、具体的な行動を支援することが思い浮かびます。
もちろん、それらは大切です。
しかし、未病の段階で本当に支えたいのは、行動だけではありません。
その人が、自分の生活をこれまでとは少し違う目で見始めることです。
たとえば、
病気でなければ、特に問題はない。
少し疲れていても、まだ頑張れる。
眠りが浅くても、今は忙しいから仕方がない。
そのように見えていた自分の生活を、
最近の疲れやすさは、今の暮らし方と関係しているのかもしれない。
眠りの浅さは、単なる一時的な不調ではなく、生活全体の余裕が減っているサインかもしれない。
自分は、毎日をこなすことに追われるあまり、自分の生を養う時間を失っているのかもしれない。
と、少し違う目で見始める。
この変化は、まだ大きな行動変容ではありません。
しかし、単なる行動変容の準備でもありません。
自分の生活と自分の生とのつながりが見え始める、そのこと自体が、すでに養生の始まりです。
「言われたから直す」のではなく、
「自分の生活を少し整えてみたい」と思えること。
「将来の病気を避けるために我慢する」のではなく、
「今の自分がよりよく生きるために、自分の生を養いたい」と感じられること。
養生とは、単に健康によいことをすることではありません。
生を養うことであり、自分に与えられた生をどう支え、どう味わい、どう生きるかを選び直す営みでもあります。
そう考えるなら、養生支援で支えるべきものも、単なる生活習慣の修正にとどまりません。
本人が、自分の生活と自分の生とのつながりを見始めること。
そして、よりよく生きる方向へ、自ら少し向かい始めること。
養生支援は、その始まりを支える営みなのです。
本人の中で養生が始まるように
では、医療者や支援者は、未病の段階で何をすればよいのでしょうか。
知識を伝える必要がない、ということではありません。
食事や運動、睡眠、休養について必要な情報を届けることは大切です。
将来のリスクを適切に共有することもあります。
しかし、それだけで養生が始まるわけではありません。
未病の人に必要なのは、自分の生活を見直すよう命じられることではなく、自分の生活を見直してみてもよいと思えるようになることです。
そのためには、支援者がまず、その人の現在の生活をよく見る必要があります。
どのような一日を送っているのか。
どこに無理が重なっているのか。
本人は、何を不調として感じ、何をまだ問題とは感じていないのか。
その人にとって、どのような言葉なら自分の生活と結びついて響くのか。
そうしたことを共に見ていくなかで、本人の中に、これまでとは少し違う理解が生まれることがあります。
「たしかに、最近は休めていなかったかもしれない」
「食事の乱れだけでなく、仕事の詰め込み方も関係しているのかもしれない」
「自分はまだ大丈夫だと思っていたけれど、少し整える余地はありそうだ」
そのとき、生活を変えるという行動は、外から押しつけられた課題ではなく、本人の中で意味を持ち始めた選択になります。
支援者は、正しい生活を外から教え込む人ではありません。
本人の中で養生への関心が芽生え、自らの生活を少し選び直してみようとする動きが生まれる条件を整える人です。
生活指導と養生支援は対立しない
ここまで、病気の治療として行う生活指導と、未病段階で行う養生支援の違いを見てきました。
しかし、この二つは対立するものではありません。
病気の治療では、明らかになった問題に対して、必要な生活調整を支えることが重要です。
未病の段階では、まだ問題が強く自覚されていない人に対して、自分の生活を見直す動きが育つことを支える必要があります。
違うのは、生活を扱うかどうかではありません。
その段階で、何を支えるべきかです。
同じように食事や運動の話をしていても、治療の場面では、改善のために必要な生活調整を支えることが中心になります。
一方、未病の場面では、本人の中に、よりよい生活へ向かう意味と主体性が育っていくことを支える必要があります。
この違いを見分けられるようになると、支援の見え方は変わります。
相手が変わらないとき、すぐに説明の不足や意欲の低さを疑うのではなく、
今この人に必要なのは、具体的な行動の提案なのか。
それとも、その前に、自分の生活を自分の問題として見始めることなのか。
そのように考えられるようになります。
支援とは、正しい行動を早く起こさせることだけではありません。
その人の中で、よりよい生活が生まれ始める条件を整えることでもあります。
おわりに:未病の段階で支えるべきもの
病気になってから生活を整えることは、大切です。
それは、治療の一部として必要なことでもあります。
しかし、未病の段階で本当に支えたいのは、生活習慣の修正そのものよりも、その人の中で養生が始まることです。
まだ強い問題意識を持たない人が、
自分の身体の小さな変化に目を向け、
今の暮らし方が自分の調子を形づくっていることに気づき、
誰かに言われたからではなく、自分の生をよりよく養うために、少し生活を選び直してみようと思える。
そのような変化は、行動の前段階にすぎないものではありません。
それ自体が、養生の始まりです。
養生支援とは、その始まりが本人の中で静かに生まれる条件を整える営みなのではないでしょうか。
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