Life三層モデルをたどる ― 9本の記事の流れと読み方

はじめに:9本の記事は、どのようにつながっているのか
これまで、Life三層モデルについて9本の記事を書いてきました。
最初の記事では、人間の生(human life)を、生存・生活・人生という三つの営みから捉えるLife三層モデルの基本的な考え方を整理しました。
そこから、未病、支援者の葛藤、役割、自由、自分らしさへと問いを広げていきました。
さらに後半では、
「役割を超えて、人は何を生きるのか」
「遊びとは何なのか」
「私たちは、意味づけるより前に何を経験しているのか」
というところまで進みました。
一見すると、健康と遊び、自分らしさと身体の感覚は、別々のテーマに見えるかもしれません。
けれども、この9本には一つの流れがあります。
Life三層モデルでは、一人の人間の生(Life)を、生存・生活・人生という三つの営みから捉えます。
人間の生は、本来、一つの連続した営みです。
それを理解するために、生存・生活・人生という三つの側面から見ながら、そのつながりを通して一人のLife全体を捉え直していきます。
そして、この見方から健康や未病を考え、さらに自己、役割、自分らしさ、遊び、経験へと問いを広げてきました。
この記事では、9本の記事がどのような問いを受け渡しながら進んできたのか、その流れを三つに分けてたどってみたいと思います。
第1部 Life三層モデルから、健康と未病を見る
最初の3本では、Life三層モデルの基本的な考え方から始まり、健康と未病、そして支援者自身の葛藤へと視野を広げていきました。
1.Life三層モデルとは ― 生存・生活・人生から、人間の生と健康を捉える
シリーズ全体の基本となる考え方を整理した記事です。
Life三層モデルが対象とするのは、生命現象一般ではなく、人間が生きているという営み、すなわちhuman lifeです。
その一つの生を、
生物として生きる「生存」
他者と関わりながら社会の中で生きる「生活」
自らの生を自分の人生として生きる「人生」
という三つの営みから捉えます。
三つは別々の生ではありません。
一人の人間が、生物として生存し、社会の中で生活し、その全体を自分の人生として生きています。
また、自己そのものも一つです。
その一つの自己が、生存・生活・人生という異なる営みの中で、生物的自己・役割的自己・本来的自己という異なる側面を前景化させると考えます。
そこから、人間の健康を身体だけの状態としてではなく、その人がどのように生存し、生活し、人生を生きているのかというLife全体から捉える視点を提示しました。
2.未病には三つの揺らぎがある ― Life三層モデルから考える未病の治め方
では、Life三層モデルから未病を見ると、何が見えてくるのでしょうか。
この記事では、未病に関わる揺らぎを、
生存の揺らぎ
生活の揺らぎ
人生の揺らぎ
という三つの側面から考えました。
身体の調整力や回復力が揺らいでいることもあれば、生活の無理や役割の重さが回復を妨げていることもあります。
人生における価値観や自己理解が硬くなり、休み方や役割の選び方が狭くなっていることもあります。
これらは三つの独立した未病ではありません。
一人のLifeに関わる揺らぎを、生存・生活・人生という三つの側面から見たものです。
そこで、未病をただ「治す」だけでなく、必要な対処を行いながら、生存・生活・人生のつながりを、その人なりの調和へ収め直していくことを、未病を治めると考えました。
3.なぜ支援者は、役割の中で苦しくなるのか ― Life三層モデルから考える自己の葛藤
3本目では、Life三層モデルを、支援する側自身へ向けました。
支援者もまた、生存・生活・人生を営んでいる一人の人間です。
身体には、休息や回復が必要です。
社会の中では、患者さんや相談者に応え、役割を果たしたいという責任があります。
そして人生には、
「私は、何を大切にして支援したいのか」
という問いがあります。
身体の回復に必要なこと、役割上の責任、人生で大切にしたい価値。
そのどれもが大切だからこそ、同時には満たしにくくなったときに葛藤が生まれます。
ここでLife三層モデルは、不調や未病を理解するためのモデルから、自分自身の生き方を見るためのモデルへと広がっていきます。
そして、次の問いが生まれます。
役割の中で苦しいのであれば、役割から自由になれば、人は満たされるのでしょうか。
第2部 固定された「自分」を問い直す
次の3本では、役割からの自由を入口に、「自分」とは何かを考えていきました。
4.自由になっても、満たされない時代 ― Life三層モデルから考える近代個人主義の限界
近代社会は、与えられた役割だけに従うのではなく、自分で考え、自分で選び、自分の人生を生きる自由を広げてきました。
これは大切な解放でした。
しかし、役割から自由になっただけで、
「自分は何を大切に生きたいのか」
という答えまで与えられるわけではありません。
そこでこの記事では、役割から離れる自己解放だけでなく、身体の状態、生活の条件、役割、人生で大切にしたいことの関係を組み直す自己再編という方向を考えました。
自己再編とは、生存・生活・人生のどれか一つを優先することではありません。
それらの関係を、その時の自分が現実に生きられる形へ組み直していくことです。
すると、次の問いが生まれます。
では、その「再編される自己」とは、何なのでしょうか。
5.私たちは、固定された自分ではない ― Life三層モデルから考える「生成する自己」
私たちは、身体や役割が変わったとき、
「昔の自分に戻りたい」
「自分を失ってしまった」
と感じることがあります。
けれども、自己は最初から完成された、変わらないものなのでしょうか。
この記事では、一人の自己を固定された完成品ではなく、生存・生活・人生を営む中で、身体、関係、役割、経験の変化を受けながら形づくられ直していくものとして考えました。
生成とは、過去の自分を捨てて、新しい自分になることではありません。
これまでを引き継ぎながら、変わっていくことです。
変わりながら、自己であり続ける。
そこから、自己を捉え直しました。
しかし、自己が固定されたものではないとすれば、なぜ私たちは「本当の自分」を探したくなるのでしょうか。
6.人は、なぜ「本当の自分」を探すのか ― Life三層モデルから考える自分らしさ
「もっと自分らしく生きたい」
「これは、本当に自分の人生なのだろうか」
そう感じることがあります。
その願いを、否定する必要はありません。
「本当の自分を知りたい」という願いの奥には、
自分の人生を、自分自身の人生として生きたい
という思いがあるのではないでしょうか。
しかし、Life三層モデルでいう本来的自己は、心の奥に隠れている固定された「本当の自分」ではありません。
本来的自己とは、
「私は何を大切にし、この人生を、自分自身の人生としてどう生きるのか」
という問いを担う、一人の自己の側面です。
身体の状態や、人との関係、現実の役割を引き受けながら、その時々に何を大切にしたいのかを問い、生き方を形づくっていく。
ここで問いは、
「本当の自分は何者なのか」
から、
「私は、この人生をどう生きるのか」
へ移っていきます。
第3部 Lifeを閉じない
では、自分の人生を生きるとは、何か意味のあることを見つけ、その意味に向かって生き続けることなのでしょうか。
最後の3本では、役割だけでなく、成果や意味、さらには一つの解釈だけにLifeを閉じない方向へ進んでいきました。
7.役割を超えて、人は何を生きるのか ― Life三層モデルから考える本来的自己の時代
仕事をする。
人を支える。
責任を果たす。
誰かの役に立つ。
役割は、人間の生活を支える大切なものです。
しかし、役割だけに自己の価値や人生の意味を預けていると、役割が軽くなったときに空白が現れることがあります。
AIを含む時代変化によって、これまで人間が担ってきた役割の一部が軽くなるとすれば、
「どの仕事が残るのか」
という問いだけでなく、
「私は、このLifeを通して何を生きたいのか」
という問いも見えやすくなります。
これは、本来的自己が生物的自己や役割的自己より重要になるということではありません。
生存・生活・人生を営む一人の人間として、
「私は何を大切にし、この人生をどう生きるのか」
という本来的自己の問いが、これまで以上に前景化する可能性があるということです。
そして、役割が少し軽くなったところには、余白が生まれます。
8.遊びは、Lifeを閉じない ― Life三層モデルから考える創造の余白
では、その余白を何で埋めればよいのでしょうか。
成長する。
学ぶ。
目標を立てる。
意味のあることをする。
それも大切です。
けれども、余白まですぐに成果や意味で埋めなければならないのでしょうか。
この記事では、遊びを、
必要や役割や成果だけに回収されず、まだ決まっていない可能性を試すことのできる余白
として考えました。
ただ歩く。
ただ面白がる。
ただ好きなものに触れる。
ただぼんやりする。
それが何の役に立つのか、すぐに説明できなくてもよい。
遊びは、成長するための手段だから大切なのではありません。
役に立つかどうかという尺度だけにLifeを閉じず、まだ意味になっていない経験を、そのまま生かしておくことができる。
そこに、遊びの余白があります。
一つの遊びの中でも、生存・生活・人生は分かれているのではなく、互いに関わりながら現れます。
では、その「まだ意味になっていない時間」の中で、私たちは何を経験しているのでしょうか。
9.私たちは、考えるより先に感じている ― Life三層モデルから考える「意味づけ以前の経験」
シリーズの最後では、意味づけるより前の経験へ戻りました。
「まだ頑張れる」と思っているのに眠くなる。
平気なつもりなのに、身体が緊張している。
理由は分からないけれど、何となく落ち着かない。
反対に、
「ここにいると安心する」
「なぜか心が動く」
と感じることもあります。
私たちは、すべてを理解してから感じているわけではありません。
言葉による解釈や人生上の意味づけに先立って、身体感覚、感情、気分、違和感などとして、すでに何かを経験しています。
ただし、それは、過去の経験や記憶、人間関係、意味づけなどから完全に切り離された「純粋な経験」がある、という意味ではありません。
また、身体の反応や違和感が、そのまま正しい答えを教えてくれるわけでもありません。
それでも、
「今、自分には何が起きているのだろう」
と確かめるための手がかりにはなります。
すぐに意味をつける前に、まず経験として受け取る。
そこから、身体の状態や生活の無理、人生で大切にしていることを見直すことができます。
こうして9本の記事は、
**役割だけに閉じない。
意味だけに閉じない。
そして、すぐに一つの答えへ閉じない。**
というところまで進みました。
どこから読めばよいか
この9本は、第1記事から順番に読むと、問いがどのように展開してきたのかを追いやすくなります。
ただし、今の自分の問いに近いところから読んでも構いません。
Life三層モデルそのものを理解したい方は、第1記事から。
身体だけでは説明しにくい不調や未病について考えたい方は、第2記事から。
人を支える中で、自分自身が疲れたり、役割の重さを感じたりしている方は、第3記事から。
役割は果たしているのにどこか満たされない、自分らしさや「本当の自分」について考えている方は、第4〜第6記事がおすすめです。
AIや時代の変化の中で、仕事や役割を超えた人生について考えたい方は、第7記事から。
休むことや遊ぶことに罪悪感を覚える方は、第8記事から。
身体の感覚や、うまく言葉にならない違和感をどう受け取ればよいのか考えたい方は、第9記事から読んでみてください。
どの記事から入っても、その先には別の問いがつながっています。
気になるところから入り、必要になったときに前後の記事へ戻る。
そのような読み方も、このシリーズには合っていると思います。
おわりに:9本の問いをたどって見えてきたもの
Life三層モデルは、人間を三つに分けるためのモデルではありません。
一つのhuman lifeを、生存・生活・人生という三つの営みから理解するためのモデルです。
その考え方から始まり、この9本では、未病、支援者の葛藤、自由、自己、自分らしさ、役割、遊び、そして意味づけ以前の経験へと問いを広げてきました。
振り返ると、その流れの中には、いくつかの共通した方向があります。
身体だけで捉えない。
役割だけに自己を預けない。
固定された自己像にとどまらない。
人生を一つの意味に固定しない。
経験をすぐに一つの答えへ決めつけない。
不調があるとき。
役割の中で苦しくなったとき。
自分らしさが分からなくなったとき。
何をしてよいか分からない余白が生まれたとき。
身体には、どのような変化が起きているのか。
生活には、どのような無理があるのか。
人生では、何を大切にし、どのように生きようとしているのか。
そのように、生存・生活・人生のつながりから、自分のLifeを見直してみることができます。
9本の記事は、一つの答えへ向かって進んできたわけではありません。
一つの問いから次の問いが生まれ、その問いをたどる中で、人間の生を、健康や未病だけでなく、自己、役割、遊び、経験へと広く捉えられるようになってきました。
この9本の流れが、Life三層モデルを自分自身の問いに引き寄せて読むための案内になればと思います。

