なぜ支援者は、役割の中で苦しくなるのか ― Life三層モデルから考える自己の葛藤

はじめに:支援する人ほど、自分を後回しにしてしまうことがある

人を支える立場にいる人ほど、自分を後回しにしてしまうことがあります。

患者さんのために関わる。

相談者の話を聴く。

相手の生活が少しでも整うように考える。

不安や迷いを受け止める。

職場やチームの中で、自分の役割を果たそうとする。

そのように相手や周囲のために動きながら、自分の疲れや迷いには気づかないふりをしてしまうことがあります。

本当は休みたい。

けれども、まだ応えなければならないと思う。

身体は重い。

けれども、患者さんや相談者のことが気になる。

気持ちに余裕がない。

けれども、支援者である自分が弱音を吐いてはいけないように感じる。

相手がなかなか変わらないときには、自分の関わり方が足りなかったのではないかと感じることもあります。

もちろん、支援者に責任感があることは大切です。

医療者や養生支援者が、相手の状態を丁寧に見ようとすること。

相談に関わる人が、相手の不安や迷いを軽く扱わないこと。

それらは、支援の土台になる大切な姿勢です。

けれども、その責任を果たそうとする中で、支援者自身の生存・生活・人生が揺らぐことがあります。

支援者もまた、身体を持ち、社会の中で役割を担い、自分は何を大切にして生きるのかを問いながら生きている一人の人間です。

そのことを見落とすと、支援者の苦しみは、単なる疲労や責任感の問題としてしか見えなくなります。

しかし、もう少し丁寧に見ると、そこには、身体の休息や回復に必要なこと、役割上の責任、人生において大切にしたい価値が、同時には満たしにくくなっている構造があります。

今回は、Life三層モデルを、支援される側ではなく、支援する側自身に向けて考えてみたいと思います。

支援者もまた、一つのLifeを生きている

Life三層モデルでは、一人の人間の生(Life)を、生存・生活・人生という三つの営みから捉えます。

支援者も、この三つの営みを生きています。

身体の生存には、休息や回復が必要です。

社会の中で生活するためには、相手や職場に対する責任があります。

人生においては、何を大切にして支援するのかという問いがあります。

これらが同じ方向を向いているとき、支援者は比較的無理なく役割を果たすことができます。

しかし、身体には休息が必要なのに、役割上は応え続けることを求められる。

相手を大切にしたいのに、その支援の仕方が自分や家族との生活を損ない始める。

このように、異なる側面から見た必要・責任・価値が両立しにくくなるところに、支援者の葛藤が生まれます。

支援者にも、休息と回復が必要である

支援者にも、身体があります。

これは当たり前のことのようでいて、支援する立場にいると、意外に見失われやすいことです。

患者さんの疲れには気づく。

相談者の眠りの浅さや緊張、生活の乱れには目が向く。

けれども、自分自身の疲労や眠気、身体の重さ、緊張には、気づかないふりをしてしまう。

少し疲れているだけ。

このくらいなら大丈夫。

今は休んでいる場合ではない。

自分より、まず相手のことを考えなければならない。

そう思っているうちに、身体の変化を確かめる余裕がなくなっていきます。

眠りたい。

休みたい。

緊張を解きたい。

そのような状態は、支援者として未熟だから生じるものではありません。

怠けているからでもありません。

身体に休息や回復が必要になっているということです。

相手には「無理をしすぎないでください」と伝えながら、自分には「もう少し頑張らなければ」と言う。

ここに、支援者の中の一つのずれが生まれます。

支援者の身体は、支援のための道具ではありません。

身体にどのような変化が続いているのかを確かめ、それを負荷や回復条件を見直す手がかりにする。

そこから、支援者自身の養生は始まります。

相手や場に応えようとする役割がある

一方で、人は身体の必要だけで行動を決めているわけではありません。

支援者は、社会の中で役割を担っています。

医療者として、患者さんを支える。

養生支援者として、相談者の生活が整うように関わる。

職場やチームの一員として、必要な仕事を担う。

家族の中でも、自分に求められる役割を果たす。

こうした社会的な関係の中に現れる自己の側面を、Life三層モデルでは役割的自己と呼びます。

役割的自己は、悪いものではありません。

相手のことを考える。

責任を果たそうとする。

よりよい関わり方を探す。

自分の判断や言葉が、相手にどう届くかを考える。

こうした働きがあるからこそ、支援は成り立ちます。

問題は、役割そのものではありません。

役割上の責任を果たすために、身体の回復に必要な休息が繰り返し後回しにされることです。

身体には休息が必要である。

しかし、患者さんや相談者には応えたい。

緊張を解く時間が必要である。

しかし、職場やチームに迷惑をかけたくない。

どちらも大切だからこそ、簡単には選べません。

この葛藤は、意志が弱いから起きるのではありません。

支援者として未熟だから起きるだけでもありません。

身体の回復に必要なことと、役割上の責任が、同時には満たしにくくなっているために生じるのです。

複数の役割の間でも葛藤は起こる

支援者が苦しくなるのは、身体の必要と役割上の責任が対立するときだけではありません。

複数の役割の間でも葛藤は起こります。

医療者としての役割。

養生支援者としての役割。

職場やチームの中で担う役割。

家族の中で担う役割。

さらに、自分の生活と健康を維持する必要もあります。

これらは、どれも大切です。

しかし、いつも同じ方向を向くとは限りません。

患者さんに丁寧に関わろうとすると、時間が足りなくなる。

職場の役割を果たそうとすると、家族との時間が減る。

相談者の話を深く聴こうとすると、自分の心の余裕が失われていく。

自分の身体を休ませようとすると、誰かに負担をかけるように感じる。

そのすべてが大切だからこそ、一つを選ぶと、別の何かを十分に果たせないように感じることがあります。

患者さんを優先すれば、家族に申し訳ない。

家族を優先すれば、仕事に申し訳ない。

自分を休ませれば、相手に申し訳ない。

何を選んでも後ろめたさが残るのは、自分の要領が悪いからとは限りません。

複数の役割が、それぞれに大切な価値と結びついているためです。

もちろん、予定を整理することは必要です。

人に頼ることや、役割の量を見直すことが必要な場合もあります。

しかし、効率を上げるだけでは解決しないこともあります。

どの役割を、どこまで担うのか。

何を自分だけで抱え、何を人に委ねるのか。

今、何を優先し、何を一時的に手放すのか。

そこには、時間管理だけではなく、責任や価値をめぐる判断が含まれています。

支援者の苦しみは、個人の内側だけでは説明できない

ここまで、支援者の中に生じる葛藤を見てきました。

しかし、支援者の苦しみを、本人の責任感や自己理解、役割との向き合い方だけで説明することはできません。

過重な業務。

人員不足。

長時間労働。

責任と権限の不均衡。

役割分担の曖昧さ。

相談や交代がしにくい職場の雰囲気。

このような、個人だけでは変えにくい条件が関わっていることもあります。

その場合に必要なのは、支援者が自分の受け止め方を変えることだけではありません。

業務量や役割分担を見直す。

困ったときに相談できる関係をつくる。

必要なときに交代し、休息を取れる仕組みを整える。

一人の支援者に責任が集中しないようにする。

職場やチームにも、変えるべき条件があります。

支援者自身の養生は、本人だけに課される新たな責任ではありません。

支援者が休み、相談し、役割を調整できる条件を、職場やチームもともに整える必要があります。

本来的自己という側面から、役割との関係を問い直す

では、この葛藤をどう考えればよいのでしょうか。

休むべきなのか。

応えるべきなのか。

自分を優先するべきなのか。

相手を優先するべきなのか。

支援者の葛藤は、しばしばこのような二者択一として感じられます。

しかし、Life三層モデルには、人生という側面があります。

人生とは、経験を意味づけ、何を大切にし、どのように生きるのかを問いながら、自分の物語を生きる営みです。

この人生との関係に現れる自己の側面を、本来的自己と呼びます。

本来的自己は、役割の奥に隠された「本当の自分」ではありません。

身体的な条件や、社会の中で担っている役割を引き受けながら、それだけに閉じることなく、自分は何を大切にし、どのように生きるのかを問い、選び直していく一人の自己の側面です。

本来的自己は、生物的自己や役割的自己より上位にあるものではありません。

身体の必要を「弱さ」として退けるものでも、役割をすべて捨てるように命じるものでもありません。

むしろ、支援者である一人の人間が、身体の状態や現実の責任を引き受けながら、役割との関係を問い直すときに現れる側面です。

私は、何を大切にして支援しているのか。

どこまでが私の責任で、どこからは相手やチームに委ねる必要があるのか。

長く支援を続けるために、今、何を整える必要があるのか。

自分の健康や生活を損ない続ける支援は、本当に持続可能なのか。

こうした問いは、休むか応えるか、自分か相手かという二者択一を、すぐに解消してくれるわけではありません。

しかし、自分が何を守ろうとしているのか、何を当然の責任だと思い込んでいるのか、役割との関係をどのように組み替えられるのかを考える入口になります。

大切なのは、葛藤をすぐに消そうとしないことです。

相手を大切にしたい。

自分の身体も大切にしたい。

職場やチームも守りたい。

家族との関係も大切にしたい。

どれも簡単には捨てられないからこそ、葛藤が生じます。

葛藤があること自体を、失敗と見る必要はありません。

葛藤の構造が見えると、問いを変えられる

葛藤しているとき、私たちはすぐに答えを出そうとします。

休むべきなのか。

応えるべきなのか。

断るべきなのか。

引き受けるべきなのか。

もちろん、現実には判断が必要です。

すぐに休む必要があるときもあります。

目の前の相手に、専門職として対応しなければならない場面もあります。

誰かに助けを求めたり、役割を交代したりする必要がある場合もあります。

けれども、葛藤の構造が見えないまま判断しようとすると、どちらを選んでも後ろめたさが残ることがあります。

疲れているのに相談を断れないとき、単に「断る勇気がない」と考えることもできます。

しかし、Life三層モデルから見ると、身体には休息が必要であり、役割上は相手に応えたいと思い、人生においては誠実な支援を続けたいと願っていることが見えてきます。

それらの関係が見えると、問いを変えることができます。

「どちらを選ぶべきか」だけではなく、

「身体の必要、役割上の責任、大切にしたい価値のうち、今、何を見落としているのか」

「もっと頑張るべきか、休むべきか」だけではなく、

「支援を長く続けるために、何を自分だけで抱えず、誰と相談する必要があるのか」

「断るか、引き受けるか」だけではなく、

「相手を支えることと自分を守ることを、なぜ対立するものとして捉えているのか」

問いが変わると、自分の前提や役割との関係に気づきやすくなります。

休むことを、支援から離れることだと思っていたのかもしれない。

自分がすべてに応えることだけが、誠実な支援だと思っていたのかもしれない。

相手が変わらない責任まで、自分が引き受けようとしていたのかもしれない。

こうした気づきは、一人で考える中から生まれることもあれば、同僚や上司、支援者との対話を通して、初めて言葉になることもあります。

そして、その気づきを、休み方、相談の仕方、役割分担、相手との距離の取り方などの具体的な調整につなげていくことができます。

支援者自身の養生は、支援を続ける基盤になる

ここでいう支援者自身の養生とは、単に休息を取ることだけではありません。

身体にどのような変化が現れているかを確かめること。

複数の役割がどのように重なっているかを見ること。

何を大切にして支援しているのかを問い直すこと。

必要に応じて人に相談し、役割や関わり方を調整すること。

それらを含めて、支援者自身の養生と考えることができます。

自分の疲労や役割葛藤に気づくことは、自分の判断や関わり方を点検し、必要に応じて休息や相談、役割調整を行う手がかりになります。

それは、自分を整えられなければ相手を支援できない、ということではありません。

支援の質には、支援者の自己理解だけでなく、専門的な知識や判断、チームの体制、業務量、相談や指導を受けられる環境など、さまざまな条件が関わっています。

支援者自身の養生は、そのすべてを個人の努力で引き受けることではありません。

自分を整えることは、わがままではありません。

休息を取ることは、責任放棄ではありません。

葛藤を見つめることは、支援者として未熟だからではありません。

同時に、自分一人では調整できない状況に対して、職場やチームへ助けを求めることも、支援を続けるために必要な行動です。

本連載では、必要な治療や生活調整を行いながら、揺らぎが深まりすぎないように、生存・生活・人生のつながりを整えていく関わりを「未病を治める」と表現しています。

支援者に疲労や不眠などの回復しにくい不調が現れているときには、その背景や関連要因として、役割の重なりや職場の条件にも目を向ける必要があります。

ただし、強い疲労、不眠、意欲や喜びの低下、不安、仕事への強い拒否感などが続き、日常生活や業務に支障が出ている場合には、役割葛藤や養生の問題だけとして扱わず、産業保健や医療の専門家に相談することが必要です。

おわりに:支援者もまた、Lifeを生きている

支援者は、相手を支える人です。

患者さんの身体を見つめる。

相談者の生活に耳を傾ける。

相手が自分の健康や生き方を受け取り直せるように関わる。

それは、とても大切な役割です。

しかし、支援者自身もまた、身体を持ち、社会の中で役割を担い、何を大切にして生きるのかを問いながら生きている一人の人間です。

人は、身体だけを生きているのではありません。

役割だけを生きているのでもありません。

意味だけを生きているのでもありません。

生存・生活・人生が相互に関わりながら変化する、一つのLifeを生きています。

支援者もまた同じです。

相手のLifeを支えるために、自分自身のLifeを見失わないこと。

身体の変化に気づき、役割の重なりを確かめ、何を大切にして支援するのかを問い直すこと。

自分だけで抱えず、職場やチームとともに、休息や相談、役割調整ができる条件を整えること。

相手を支える前に、自分だけを優先するということではありません。

相手を支えるために、自分を犠牲にし続けるということでもありません。

支援者自身もまた、一つのLifeを生きている。

そのことを忘れないところに、支援をより長く、健やかに続けるための養生があります。

次回への問い

この記事では、支援者の苦しみを、一人の自己における生存・生活・人生の葛藤として見てきました。

身体には休息や回復が必要であり、社会の中では役割に応える責任があり、人生においては何を大切に支援するのかという問いがあります。

では、役割の中で苦しくなった人は、役割から自由になれば満たされるのでしょうか。

自分らしく生きるとは、役割を脱ぐことなのでしょうか。

それとも、役割との関係を組み替えることなのでしょうか。

→ 次回、「自由になっても、満たされない時代」へ。

\ 最新情報をチェック /

なぜ支援者は、役割の中で苦しくなるのか ― Life三層モデルから考える自己の葛藤” に対して1件のコメントがあります。

  1. 工藤美佐子 より:

    なぜ今目の前に、このテーマがあるのだろうか。
    うなずきながら、納得しながら、読ませていただきました。
    自分自身の養生ってなんだろう!
    好きなことをやる、でも終わらせてからにしよう、
    結局は、決めた仕事から離れられない

    誰かと誰かを繋ぐ役割があり、頼まれると断らない、
    断れない自分がいる。

    先生も同じ思いを持っていることに気づいた。
    でも、こうやって誰かのために、走り回るのが、自分なんだとすると、それも自分らしくていいかもしれないと思う
    転んだ自分はどうやって起き上がることができるのか、
    わからない

    そうは言っても、案外楽しんで生きているような気がする。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です