未病には三つの揺らぎがある ― Life三層モデルから考える未病の治め方

はじめに:Life三層モデルから、未病の治め方へ

Life三層モデルでは、一人の人間の生(Life)を、生存・生活・人生という三つの営みから捉えます。

人は、身体を場として生存を営みます。

社会の中で生活を営みます。

精神という場で、経験を人生全体の文脈で意味づけながら人生を生きています。

このように考えると、健康も未病も、身体だけでは十分に理解できません。

検査では大きな異常はない。

病気とまでは言われない。

けれども、疲れが抜けない。眠りが浅い。心が休まらない。身体の緊張が抜けない。

そのような不調には、生活の無理や役割の重さ、人間関係の緊張、人生の方向への迷いが関わっていることがあります。

そこで今回は、Life三層モデルを踏まえて、未病をどのように見立て、どのように治めていくかを考えてみたいと思います。

Life三層モデルから見ると、未病に関わる揺らぎは、生存・生活・人生という三つの側面に見いだすことができます。

生存の揺らぎ
生活の揺らぎ
人生の揺らぎ

これらは、三つの独立した未病ではありません。一人の人間の生(Life)に関わる揺らぎを、三つの側面から捉えたものです。

未病を治めるとは、その揺らぎを無理に消すことではありません。

必要な対処を行いながら、揺らぎが病へ傾きすぎないように、生存・生活・人生のつながりを見直し、その人なりの調和へ収め直していくことです。

未病を治すとは、未病を治めることでもある

では、未病を「治める」とは、どういうことでしょうか。

東洋医学には、「未病を治す(ちす・なおす)」という考え方があります。

病気がはっきり現れてから治療するだけでなく、その前の変化に目を向け、病へ進みすぎないように関わる。

これは、未病を考えるうえで大切な視点です。

もちろん、痛みや症状があれば、必要な対処をすることが欠かせません。

生活習慣に無理があれば、それを整えることも必要です。

けれども、同じ不調を繰り返している場合には、それだけでは十分でないことがあります。

たとえば、疲れを取るために一晩しっかり眠ることは大切です。

しかし、同じ疲れ方を何度も繰り返しているなら、眠るだけでは足りないかもしれません。

身体は休めていても、生活の無理が続いている。

生活を少し整えても、「もっと頑張らなければ」と自分を追い立てている。

そのような場合、不調は一時的に軽くなっても、回復しにくい状態を繰り返すことがあります。

本稿では、必要な治療や生活調整を行いながら、揺らぎが深まりすぎないように生存・生活・人生のつながりを調整していく関わりを、未病を治めると表現します。

揺らぎは、ただ消せばよいものではありません。

生存の状態は、環境や体調に応じて絶えず変化しています。

生活も、いつも一定ではありません。

人生も、迷いや変化を含みながら進んでいきます。

大切なのは、揺らぎをなくすことではなく、揺らいでも調整し、再び回復できる状態を支えることです。

ここでいう「治める」とは、不調を我慢することではありません。

病気を放置することでもありません。

必要な検査や治療を否定することでもありません。

むしろ、必要な対処は行いながら、同時に、その不調に生存・生活・人生のどのような状態が関わっているのかを見ることです。

症状だけに対処しても、生活の無理が続けば、回復を妨げることがあります。

身体が一時的に楽になっても、役割の抱え込み方が変わらなければ、同じ疲れ方を繰り返すことがあります。

休んでも、「頑張らなければ価値がない」という考え方が変わらなければ、再び同じ生活へ戻ってしまうこともあります。

だから、Lifeの揺らぎに対しては、ただ「直す」だけでなく、「治める」というまなざしが必要になります。

未病に関わる揺らぎを、三つの側面から見る

Life三層モデルでは、一人の人間の生(Life)が、身体・社会・精神という三つの場で、生存・生活・人生として営まれていると考えます。

この視点から見ると、未病の見え方も変わってきます。

生存の側面では、疲労、眠りの浅さ、冷え、胃腸の不調など、身体の変化として現れます。

生活の側面では、過剰な役割や休めない暮らし、人間関係の緊張が、身体の回復を妨げる負荷として関わることがあります。

人生の側面では、意味や価値観の揺らぎが、休み方や役割の選び方に影響することがあります。

未病を治めるには、生存・生活・人生のどの側面に負荷や変化が目立っているか、どこから関わることが回復の入口になりそうかを見ていく必要があります。

生存の揺らぎを治める

身体の調整力が揺らいでいるとき

一つ目は、生存の揺らぎです。

生存の揺らぎとは、身体の調整力や回復力が十分に働きにくくなっている状態です。

たとえば、

疲れが抜けない。
眠りが浅い。
冷えやほてりがある。
胃腸の調子が崩れやすい。
呼吸が浅い。
肩や首の緊張が抜けない。
季節や気圧の変化に影響されやすい。

病気とまでは言えなくても、身体には、すでに回復しにくさを示す変化が現れています。

私たちの身体は、機械のように一定ではありません。

気温、湿度、季節、年齢、睡眠、食事、運動、人間関係、感情など、さまざまな影響を受けながら、絶えず調整を続けています。

その調整がうまく働いているとき、人は多少疲れても回復できます。

生活が少し乱れても、また戻ることができます。

しかし、負荷が続きすぎると、元へ戻る力が弱くなることがあります。

休んでも回復しにくくなる。

眠っても疲れが抜けない。

少しの変化に大きく反応するようになる。

これが、生存の側面に目立つ未病の状態です。

このとき大切なのは、身体を責めないことです。

「自分の身体は弱い」
「もっと頑張らなければ」
「気合いが足りない」

そう考えると、身体の変化を落ち着いて捉えにくくなります。

生存の揺らぎを治めるとは、身体を思い通りに支配することではありません。

もっと頑張らせることでもありません。

身体が持っている調整力や回復力が、再び働きやすくなる条件を整えることです。

睡眠の時間と質を取り戻す。
食事のリズムを乱しすぎない。
身体を冷やしすぎない。
呼吸が浅くなっていることに気づく。
頑張る運動より、回復を助ける動きを選ぶ。
季節や年齢に合わせて、負荷を調整する。

これらは特別なことではありません。

しかし、生存の揺らぎが大きくなっているときには、特別な方法を探す前に、こうした基本へ戻ることが必要になる場合があります。

生存の揺らぎを治めるとは、身体を責めることではありません。

身体の変化を手がかりに、調整力や回復力が働きやすい条件へ、日々のリズムを戻していくことです。

生活の揺らぎを治める

暮らしの構造に無理があるとき

二つ目は、生活の揺らぎです。

生活の揺らぎとは、日々の暮らし方や役割の配置に無理が生じている状態です。

休めない。
頼れない。
断れない。

いつも時間に追われている。
家族や職場の役割を抱え込みすぎている。
人間関係で緊張が続いている。
休んでいても、「本当は何かしなければ」と感じる。

このような状態では、身体だけを整えても、不調が治まりにくいことがあります。生活の形が、身体の回復を妨げる要因になっている場合があるからです。

たとえば、疲れている人に「もっと眠りましょう」と助言することはできます。しかし、その人が家族の世話や仕事の責任を抱え込み、そもそも眠る時間を確保できない生活をしているなら、睡眠だけを勧めても十分ではありません。

「ストレスを減らしましょう」と言うこともできます。しかし、その人が「自分がやらなければならない」「迷惑をかけてはいけない」と思い続けているなら、簡単には力を抜けません。

ここに、生活の揺らぎの難しさがあります。

生活の配置とは、時間の使い方だけではありません。

役割の担い方、人との距離、頼ることへの抵抗、休むことへの罪悪感、自分に許している選択肢の広さまで含みます。

表面だけを見ると、「忙しいから疲れている」と見えます。

けれども、もう少し丁寧に見ると、「なぜそこまで抱え込んでしまうのか」という問いが出てきます。

人に頼ることが苦手なのかもしれません。
断ることに強い不安があるのかもしれません。
自分が頑張ることで、関係を保ってきたのかもしれません。
役割を果たすことで、自分の価値を感じてきたのかもしれません。

このように、生活の揺らぎには、生存と人生の双方とのつながりが見えやすく現れることがあります。

身体は疲れている。

しかし、生活の形を変えにくい。

その背景に、価値観や自己理解が関わっていることがある。

そう考えると、身体の不調を、Life全体のつながりの中で見直すことができます。

ここで大切なのは、生活の揺らぎを「本人の意志の弱さ」と見ないことです。

時間管理が下手だからではない。

努力が足りないからでもない。

生活の形そのものに、身体の回復を妨げる無理が生じていることがあるのです。

「自分がやらなければならない」
「期待に応えなければならない」
「断ると関係が悪くなる」
「休むことは悪いことだ」

こうした思いが、生活の選択を狭めていることがあります。

生活の揺らぎを治めるとは、単に予定を減らすことではありません。

効率よく動けるようになることだけでもありません。

その人が担っている役割、時間の使い方、人との関係、休むことへの許可を見直し、生活が詰まりすぎないように収まりどころをつくることです。

自分が担っている役割を一度見える化する。
抱えすぎているものを見つける。
頼れることと、頼れないことを分ける。
断ることを、関係を壊す行為ではなく、関係を保つための調整として考える。
予定を減らすだけでなく、回復の余白を生活の中に置く。

生活の揺らぎを治めるとは、努力を増やすことではありません。
役割や時間や関係の配置を少し組み替え、暮らしの中に回復の余白を取り戻すことです。

人生の揺らぎを治める

意味や価値観が硬直しているとき

三つ目は、人生の揺らぎです。

人生の揺らぎというと、少し大きな話に聞こえるかもしれません。

けれども、それは特別な挫折や大きな危機のときだけに起こるものではありません。

大きな問題があるわけではない。
毎日を何とか過ごせている。

周りから見れば、きちんと役割を果たしている。
それでも、以前のように頑張れない。

これまで大切にしてきたことに、少し距離を感じる。
何のためにここまで頑張っているのか、ふとわからなくなる。

そのような形で、人生の揺らぎを感じることがあります。

人生の揺らぎとは、自分が何のために生きているのか、何を大切にしたいのかが見えにくくなっている状態です。

何のために頑張っているのかわからない。
以前は意味があったことに、意味を感じられない。
自分らしさがわからない。

役に立たない自分には価値がないと感じる。
弱音を吐いてはいけないと思っている。
これまでの生き方を続けることが苦しくなっている。

これは、単なる気分の問題として片づけられるものではありません。

ここでいう人生とは、経験を意味づけ、何を大切にするかを問い、価値や信念、自己理解、人生の物語として捉える側面です。

私たちは、出来事をただ経験しているだけではありません。

その出来事に意味を与えながら生きています。

「私は、なぜこれほど頑張っているのか」
「何を守ろうとしてきたのか」
「これから、どのように生きたいのか」

こうした問いは、人生という側面から、自分の経験や生き方を捉え直す問いです。

人生の揺らぎにおいては、自己物語や価値観が硬くなり、生き方の選択肢が狭くなっていることがあります。

「頑張らなければ価値がない」
「弱音を吐いてはいけない」
「人に迷惑をかけてはいけない」
「役に立たなければ意味がない」

こうした信念は、一見すると立派なものに見えるかもしれません。

たしかに、責任感は人を支えます。

人に迷惑をかけないようにすることも、社会の中で生きるうえでは大切です。

誰かの役に立ちたいという思いも、人の生きがいになります。

けれども、それが硬くなりすぎると、生活の選択を狭め、身体の状態にも影響することがあります。

休めない。
頼れない。
弱さを見せられない。
いつも役に立つ自分でいなければならない。

こうした生き方が、身体の緊張や生活上の負荷と相互に関係し、回復しにくさにつながることがあります。

人生の揺らぎを治めるとは、無理に前向きになることではありません。

苦しみに意味を与えて美化することでもありません。

これまで自分を支えてきた物語を否定せずに、それが今の自分を苦しくしていないかを静かに見直すことです。

人は、ある時期までは支えになっていた価値観によって、別の時期には苦しくなることがあります。

責任感が人を支えることもあれば、責任感だけでは心が休まらなくなることもあります。

誰かの役に立つことが生きがいになることもあれば、「役に立たなければ意味がない」という思いが、自分を追い詰めることもあります。

人生の揺らぎは、これまでの物語をそのまま生き続けることが難しくなり、新しい生き方を模索し始めている状態とも考えられます。

だからこそ、人生の揺らぎを治めるには、すぐに答えを出そうとしないことも大切です。

何をやめるかだけでなく、何を大切にしたいのかを問う。

自分を支えてきた信念を見直す。

役割から求められていることと、自分が今大切にしたいことを分けて考える。

過去の経験を、失敗だけでなく物語の一部として捉え直す。

「頑張る自分」以外にも、自分の価値があることを見つめる。

人生の揺らぎを治めるとは、これまでの生き方を否定することではありません。
これからの自分が生きられる物語へ、少しずつ編み直していくことです。

ただし、意欲や喜びの低下、強い不安、不眠などが続き、日常生活に支障が出ている場合には、人生上の問いだけとして扱わず、医療機関に相談することが必要です。

三つの揺らぎは、一人のLifeの中でつながっている

ここまで、未病に関わる状態を、生存・生活・人生という三つの側面から見てきました。

しかし、実際の不調は、一つの側面だけで説明できるとは限りません。

身体の疲労が、生活の余裕を失わせることがあります。

生活に余裕がないために、自分の生き方を見直す余力を持ちにくくなることがあります。

硬くなった価値観が休むことを妨げ、身体の緊張や疲労と関係することもあります。

逆に、一つの側面から関わり始めることで、他の側面にも変化が生まれることがあります。

身体が緩むことで、考え方を見直す余裕が生まれる。

生活に余白ができることで、身体が回復しやすくなる。

人生の見方が変わることで、断ることや休むことを許せるようになる。

つまり、生存・生活・人生は分断されていません。

三つの営みは相互に影響しながら、一人の人間の生(Life)を形づくっています。
どこか一つに変化が生じると、他の側面にも影響が及ぶことがあります。

ここで大切なのは、「どの層が悪いか」を決めることではありません。

身体が悪いのか
生活が悪いのか
考え方が悪いのか

そのように原因を一つに絞ろうとすると、かえって未病の全体像が見えにくくなります。

大切なのは、どの側面から関わることが、回復の入口になりそうかを見ることです。

最近の不調を一つ思い浮かべてみます。

身体には、どのような変化が続いているでしょうか。

生活の配置には、どのような無理があるでしょうか。

これまでの生き方や価値観が、休み方や役割の選び方を狭めてはいないでしょうか。

同じ「疲れが取れない」という不調でも、人によって回復の入口は違います。

ある人には、まず睡眠が必要かもしれません。
ある人には、仕事や家庭の役割を見直すことが必要かもしれません。
ある人には、「なぜそこまで頑張り続けるのか」という問いが必要かもしれません。

未病の治め方は、一つではありません。

生存の側面から関わることが入口になる人もいます。

生活の組み替えから始める人もいます。

人生の見方が変わることで、生活や身体にも変化が生まれる人もいます。

だから、未病を治めるときには、すぐに方法を選ぶ前に、こう問い直してみることが大切です。

身体では、どのような変化が続いているのか。
生活のどこに無理があるのか。
人生のどこで意味や価値観が硬くなっているのか。

どこから関わると、他の側面にも変化が生まれそうか。

これは、病名を自己診断するための問いではありません。

自分を責めるためのものでもありません。

不調を、生存・生活・人生のつながりの中で見直すための問いです。

おわりに:未病を治めるとは、Lifeの調和を取り戻すことである

不調は、つらいものです。

疲れが抜けないこと
眠れないこと
心が休まらないこと
自分の生き方がわからなくなること

それを安易に「意味がある」と言うべきではありません。

まず必要な対処があります。

医療につなぐべき不調もあります。

休むこと、治療を受けること、環境を変えることが必要な場合もあります。

必要な治療を受けることと、Life全体を見直すことは、対立するものではありません。

目の前の不調に必要な対処を行いながら、その不調に生存・生活・人生のどのような状態が関わっているかを見直していく。

その両方があって、未病をより深く扱えるようになります。

未病という段階で立ち止まって見るとき、不調はただ消すだけのものではなく、Life全体を見直す入口にもなりえます。

身体では、どのような変化が起きているのか。
生活には、どこに無理があるのか。
人生では、何を大切にしようとしてきたのか。

そう問い直すことで、未病の見え方は少し変わります。

未病を治めるとは、完璧な健康状態になることではありません。

揺らぎのない人になることでもありません。

その揺らぎが、病へ傾きすぎないようにする。

身体の変化を丁寧に捉える。
生活の無理を見直す。
人生の物語を編み直す。

そのようにして、生存・生活・人生のつながりを、その人なりの調和へ収め直していく。

それが、未病を治めるということなのだと思います。

未病は、病気へ向かう可能性に早く気づくための段階であると同時に、自分の生存・生活・人生のつながりを、もう一度見直す契機にもなりえます。

次回への問い

この記事では、未病に関わる揺らぎを、生存・生活・人生という三つの側面から考えてきました。

未病を治めるとは、揺らぎを無理に消すことではなく、その揺らぎが病へ傾きすぎないように、生存・生活・人生のつながりを、その人なりの調和へ収め直していくことです。

では、このLifeの揺らぎは、支援を受ける人だけに起こるものなのでしょうか。

人を支える側の支援者自身もまた、身体を持ち、役割を担い、人生の問いを抱えながら生きているのではないでしょうか。

→ 次回、「なぜ支援者は、役割の中で苦しくなるのか」へ。

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