学びを実践につなげるには ― 知識を当てはめる学びから、人を理解する学びへ

はじめに:学んだことが、実践で使えないと感じるとき

学んでいるのに、実践になるとうまく使えない。

そのように感じることがあります。

講義を聞いているときは分かる。
テキストを読めば理解できる。
言葉の意味も、考え方も、少しずつ身についてきている。

それなのに、目の前の人の話を聞くと、急に分からなくなることがあります。

この状態を、どう見ればよいのか。
どの知識と結びつければよいのか。
何を伝えればよいのか。

そのように迷うとき、私たちはつい、こう考えます。

まだ知識が足りないのではないか。
もっと勉強しなければいけないのではないか。
もっと正確に覚えなければ、実践では使えないのではないか。

もちろん、知識を増やすことは大切です。

けれども、学んだことが実践で使えないとき、本当に足りないのは知識の量だけなのでしょうか。

もしかすると、問われているのは、知識をどれだけ覚えているかだけではなく、その知識をどのように使っているか、なのかもしれません。

今回は、学びを実践につなげるには何が必要かを、知識を当てはめる学びから、人を理解する学びへという視点で考えてみたいと思います。

知識が足りないから使えない、とは限らない

まず、知識は大切です。

これは、はっきり確認しておきたいことです。

知識がなければ、目の前で起きていることを丁寧に見ることはできません。
言葉を知らなければ、相手の状態を整理することも難しくなります。
概念を持たなければ、自分が何となく感じている違和感を、考える対象として扱うこともできません。

たとえば、疲れについて考えるときもそうです。

ただ「疲れている」と見るだけでは、何が起きているのかは十分に分かりません。
身体の消耗なのか。
睡眠の質が関係しているのか。
気分の重さが関わっているのか。
生活のリズムが乱れているのか。
緊張が続いているのか。

こうした見方を持つためには、やはり知識が必要です。

冷え、不眠、食欲の乱れ、気分の落ち込みなどについても同じです。
知識があるからこそ、ただの感覚として流していたものを、少し丁寧に見られるようになります。

ですから、学びにおいて知識を得ることは欠かせません。

ただし、知識が増えれば、そのまま実践で使えるようになるとは限りません。

知識としては知っている。
説明もできる。
けれども、目の前の人にどう結びつければよいか分からない。

そのようなことは、実践ではよく起こります。

なぜなら、実践で問われるのは、知識を持っているかどうかだけではないからです。

その知識を、目の前の人を理解するために使えているか。
相手の状態に合わせて、問い直すことができているか。
知識をそのまま当てはめるのではなく、その人の現実に照らして使い直せているか。

そこが問われます。

つまり、学びを実践につなげるには、知識量だけでなく、知識の使い方が大切になります。

知識を正解として覚えるだけでは足りない

知識を学ぶとき、私たちはまず正解を求めます。

この症状には、この考え方。
この体質には、この養生。
この状態なら、この助言。
この訴えなら、この分類。

このように、知識を整理して覚えていくことは、学びの大切な入口です。

何も知らないままでは、考えることができません。
基本的な考え方を覚えることも大切です。
典型的な見方を知ることも必要です。
よくある状態と、その背景にある考え方を学ぶことも欠かせません。

ですから、正解を覚える学びそのものが悪いわけではありません。

むしろ、最初はそこから始まります。

問題は、その知識をそのまま目の前の人に当てはめようとするときに生まれます。

「この人は冷えの人だ」
「この人は疲れの人だ」
「この人はストレスが強い人だ」
「この人は胃腸が弱い人だ」

そのように分類すると、分かったような気持ちになります。

けれども、それはまだ入口にすぎません。

冷えているといっても、なぜ冷えているのか。
疲れているといっても、どのような生活の流れの中で疲れているのか。
眠れないといっても、何が眠りを妨げているのか。
胃腸が弱いといっても、食べ方だけの問題なのか、緊張や生活リズムも関係しているのか。

そこまで見なければ、目の前の人を理解したことにはなりません。

知識を正解として覚える学びは、整理する力を与えてくれます。
しかし、それだけでは、現実の複雑さには届きにくいのです。

知識を当てはめるほど、人が見えにくくなる

知識は、本来、人を見る助けになります。

知識があるからこそ、気づけることがあります。
知識があるからこそ、相手の言葉の背後にある状態を考えることができます。
知識があるからこそ、ただの訴えを、身体や生活の流れの中で捉え直すことができます。

しかし、知識を当てはめる意識が強くなりすぎると、かえって人が見えにくくなることがあります。

たとえば、相手が「疲れが取れない」と話したとします。

そのとき、すぐに「休養が必要だ」と考えることはできます。
それは間違いではありません。
疲れているなら、休むことは大切です。

けれども、その人は本当に休めているのでしょうか。

睡眠時間はあっても、眠りが浅いのかもしれません。
休みの日にも気が張っていて、心身がゆるまないのかもしれません。
生活のリズムが乱れていて、休んでも回復しにくくなっているのかもしれません。
日中の過ごし方や、食事や運動の不足が関係しているのかもしれません。

「疲れているなら休む」という知識は大切です。
しかし、それをそのまま当てはめるだけでは、その人に何が起きているのかは十分に見えてきません。

冷えについても同じです。

「冷えているなら温める」という知識は大切です。
けれども、食事、睡眠、運動量、緊張、生活習慣などを見なければ、その冷えがなぜ生まれているのかは見えてきません。

知識を当てはめることに意識が向きすぎると、その人自身ではなく、その人を説明するための分類だけを見てしまうことがあります。

そこに、実践で知識が使えなくなる一つの理由があります。

実践に役立つ学びは、知識から問いを立てる

では、実践に役立つ学びとは、どのような学びなのでしょうか。

それは、知識を答えとして持つだけでなく、問いを立てるために使う学びです。

実践で行き詰まりやすい学びは、知識を答えとして持とうとします。
実践に役立つ学びは、知識から問いを立てようとします。

この違いは、とても大きなものです。

たとえば、疲れについて学んだとします。

知識を答えとして持つ学びでは、
「疲れているなら、休めばよい」
というところに向かいやすくなります。

しかし、知識から問いを立てる学びでは、そこから別の問いが生まれます。

この人の疲れは、どのような生活の流れの中で生まれているのか。
休む時間はあるのに、なぜ回復しにくいのか。
睡眠、食事、運動、気分、緊張のうち、どこに負担がかかっているのか。
この人にとって、無理なく変えられるところはどこなのか。

知識があるからこそ、このような問いを立てることができます。

つまり、知識は、答えを急ぐためだけにあるのではありません。
目の前の人について、よりよい問いを立てるためにも働きます。

「この人はどの型に当てはまるか」ではなく、
「この人の状態は、どのような背景から生まれているのか」と考える。

「何を助言すればよいか」だけでなく、
「何が起きているのか」をまず見ようとする。

そのように知識を使えるようになったとき、学びは目の前の人を理解するために働き始めます。

目の前の人によって、知識は問い直される

実践とは、学んだ知識をそのまま使う場ではありません。

むしろ、目の前の人に出会うことで、知識の意味が問い直される場です。

学んだときには、分かったように思えた知識があります。
講義の中では、整理されていた考え方があります。
テキストの上では、きれいに理解できた説明があります。

しかし、実際の人は、いつもその通りには現れません。

典型例に当てはまる部分もあれば、当てはまらない部分もあります。
一つの知識で説明できる部分もあれば、別の見方が必要な部分もあります。
助言として正しくても、その人の生活にはすぐに入っていかないこともあります。

そのとき、知識は問い直されます。

この知識は、この人にはどのような意味を持つのか。
この説明では、この人の状態を十分に捉えられているのか。
この助言は、この人の生活の中で本当に実行できるのか。
この人を理解するには、別の問いが必要なのではないか。

この問い直しが、知識の使い方を変えていきます。

知識を一方的に現場へ持ち込むだけでは、実践にはつながりません。

目の前の人に触れることで、知識のほうも揺らぎます。
そして、その揺らぎの中で、知識は使い直されていきます。

学んだ知識は、そのまま実践に当てはめるだけでは、本当に使えるものにはなりません。

その人の状態や背景に触れる中で問い直され、使い直されることで、知識は実践に役立つ視点として働き始めるのです。

知識は、分類するためではなく、理解するためにある

知識を学ぶと、私たちは現実を分類できるようになります。

これは冷えだ。
これは疲れだ。
これは眠りの問題だ。
これは胃腸の不調だ。
これは生活リズムの乱れだ。

分類できるようになることは、大切です。

分類ができるから、何を見ればよいかが分かります。
どこに注意すればよいかが分かります。
相手の訴えを整理することもできます。

しかし、分類は理解の終わりではありません。

むしろ、理解の入口です。

大切なのは、分類したあとです。

なぜ、その状態が生まれているのか。
その状態は、どのような生活の中で続いているのか。
その人は、何を変えやすく、何を変えにくいのか。
どのような関わり方なら、その人にとって無理が少ないのか。

そこまで考えようとするとき、知識は相手を枠にはめるものではなくなります。

その人の状態を、少しでも丁寧に理解するための手がかりになります。

知識は、相手を分類するためだけにあるのではありません。
相手を分かったつもりになるためにあるのでもありません。

知識は、その人の状態を丁寧に見るためにあります。
言葉になりにくい不調を、少し整理して受け取るためにあります。
表面に出ている症状だけでなく、その背景にある生活や事情へ目を向けるためにあります。

知識がそのように働き始めるとき、学びは実践につながっていきます。

おわりに:知識を、人を理解する視点へ変えていく

学びを実践につなげるとは、知識をそのまま現場に持ち込むことではありません。

知識を覚えることは大切です。
正しく理解することも必要です。
基本を身につけることも欠かせません。

けれども、それだけで実践につながるわけではありません。

目の前の人に向き合う。
その人の状態や背景を見る。
学んだ知識を、その人の現実に照らして問い直す。
必要に応じて、使い直す。

その中で、知識の位置づけが変わります。

覚えた言葉は、相手の状態を見るための言葉になります。
学んだ概念は、その背景を理解するための視点になります。
正解として覚えた知識は、問いを立てる力として働き始めます。

実践に役立つ学びとは、正しい知識を持っていることだけではありません。

その知識を、目の前の人を理解するために問い直し、使い直していくことです。

そのように考えると、漢方未病の学びは、単なる知識の習得ではなく、目の前の人をより丁寧に理解するための学びとして見えてきます。


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