人は、なぜ「本当の自分」を探すのか ― Life三層モデルから考える自分らしさ

はじめに:「これは、本当に私の人生なのだろうか」

仕事をしている。

家庭でも、自分の役割を果たしている。

周囲との関係も、それなりにうまくいっている。

大きな問題があるわけではない。

それなのに、あるとき、ふと、

「私は、本当にこのままでいいのだろうか」

と思うことがあります。

「これは、本当に私が望んでいた人生なのだろうか」

「もっと、自分らしく生きたい」

そんな思いが浮かんでくることもあります。

私たちは、ときに「本当の自分」を探したくなります。

しかし、考えてみると不思議です。

なぜ私たちは、「本当の自分」というものを探すのでしょうか。

心の奥のどこかに、まだ見つけていない「本当の私」が隠れているのでしょうか。

今回は、Life三層モデルから、この問いを考えてみたいと思います。

「本当の自分」を探すようになった時代

人は昔から、自分の生き方について考えてきました。

けれども、現代ほど、

「自分は何をしたいのか」

「自分は、どんな人生を生きたいのか」

という問いが重視される時代はなかったかもしれません。

私たちは、個人が自律し、自分で考え、自分で選び、自分の人生を主体的に生きることに大きな価値を置くようになりました。

これは、人間にとって大きな解放でした。

家族や地域、身分や慣習によって生き方の多くが決められていた時代に比べれば、私たちはさまざまな人生を選べるようになっています。

どんな仕事をするのか。

誰と暮らすのか。

どこで生きるのか。

何を大切にするのか。

多くのことを、自分で選ぶことができます。

しかし、自由に選べるようになったからこそ、新しい問いも生まれました。

「では、私は何を選びたいのか」

「何を選べば、自分の人生を生きていることになるのか」

という問いです。

自由になったからこそ、私たちは自分自身を問わなければならなくなった。

そこから、

「本当の自分は、何を望んでいるのだろう」

という問いも生まれてきます。

「本当の自分を知りたい」という願いの奥には、

自分の人生を、自分自身の人生として生きたい

という願いがあるのではないでしょうか。

「自分らしく生きる」という新しい理想

現代では、「個性」や「自分らしさ」も大切にされるようになりました。

「人と違っていてよい」

「自分の好きなことを大切にしよう」

「自分らしく生きよう」

こうした言葉を、私たちは日常的に耳にします。

これもまた、大切な変化です。

人と同じであることだけを求められるのではなく、一人ひとりの違いを尊重しようとするからです。

しかし、その一方で、現代社会には別の動きもあります。

社会は私たちに、さまざまな「望ましい人間像」を提示します。

仕事ができる。
健康である。
前向きである。
人間関係が豊かである。
自分の強みを知っている。
好きなことを仕事にしている。
自分らしく生きている。

SNSや広告を眺めていても、「こう生きれば充実した人生になる」という姿が次々に示されます。

すると、少し不思議なことが起こります。

「自分らしく生きること」さえ、社会から求められる役割になってしまうことがあるのです。

「もっと自分らしくならなければ」
「自分だけの強みを見つけなければ」
「やりたいことを持っていなければ」

そう考えて苦しくなることさえあります。

自分らしく生きようとしているのに、いつの間にか、

「自分らしく生きている人」

という新しい理想像に合わせようとしている。

では、本当の意味で「自分らしく生きる」とは、どういうことなのでしょうか。

自分らしさは、変わらない個性ではない

自分らしさというと、

「私は昔からこういう人だから」

という、変わらない性格や個性を思い浮かべることがあります。

けれども、人は変わります。

身体も変わります。
仕事も変わります。
家族との関係も変わります。
大切にしたいものも、人生の中で少しずつ変わっていきます。

たとえば、これまで、

「私は、人を支える人でありたい」

と思って生きてきた人がいるとします。

人に頼られれば応える。
困っている人がいれば助ける。

それは、その人が長いあいだ大切にしてきた生き方です。

ところが、仕事や家庭の負担が重なり、身体が疲れ、余裕がなくなってきた。

それでも、

「人を支えるのが私らしい」

と思い続けていたら、その「自分らしさ」が、かえって自分を苦しめることがあります。

そんなとき、

「人を支えることは大切だけれど、自分も支えるべき一人なのではないか」

という新しい問いが生まれるかもしれません。

以前と違う生き方を選ぶことは、自分らしさを失うことなのでしょうか。

私は、そうではないと思います。

自分らしさとは、変わらない自分を守り続けることではありません。

変化する現実の中で、

「今の私は、何を大切にしたいのか」
「これから、どのように生きたいのか」

と問い直しながら、生き方を形づくっていく。

そこにも、自分らしさがあります。

Life三層モデルから、「自分」を見てみる

Life三層モデルでは、一人の人間の生(Life)を、生存・生活・人生という三つの営みから見ます。

そして、その一つの生を生きる自己も、生存・生活・人生との関係の中で、生物的自己・役割的自己・本来的自己という異なる側面を前面に現します。

もちろん、三人の自分がいるわけではありません。

自己そのものは一つです。

一人の自己が、生存・生活・人生という異なる営みの中で、それぞれ異なる側面を前景化させると考えます。

生存の営みの中では、

「疲れた」
「休みたい」
「安心したい」

といった身体の感覚や欲求が前に出ることがあります。

そこに現れる自己の側面を、Life三層モデルでは生物的自己と呼びます。

生活の営みの中では、

「家族を支えたい」
「仕事の責任を果たしたい」
「人との関係を大切にしたい」

といった、役割や関係に関わる思いが前に出ることがあります。

そこに現れる自己の側面が、役割的自己です。

そして人生の営みの中では、

「私は、この生き方でよいのだろうか」
「私は、何を大切にして生きたいのだろうか」

という問いが前に出ることがあります。

Life三層モデルでは、このような人生との関係に現れる自己の側面を、本来的自己と呼んでいます。

本来的自己は、「本当の自分」ではない

ここで、自然な疑問が生まれます。

「それなら、本来的自己こそ『本当の自分』なのではないか」

しかし、Life三層モデルでは、そのようには考えません。

本来的自己だけが本物で、生物的自己や役割的自己が偽物なのではありません。

身体の感覚や欲求も、自分の大切な一部です。

人との関係を大切にすることも、社会の中で役割を果たすことも、その人自身のLifeを形づくる大切な営みです。

本来的自己が、生物的自己や役割的自己の上に立って正解を教えるわけでもありません。

一人の自己が、生存・生活・人生のすべてを生きています。

では、なぜ「人生的自己」などではなく、あえて「本来的自己」と呼ぶのでしょうか。

ここで、「本来性」という言葉の意味が重要になります。

哲学で論じられてきた「本来性」は、単に心の奥にある「本物の自分」を意味する言葉ではありません。

そこには、

自分の生を、自分自身のものとして引き受けて生きる

という意味があります。

Life三層モデルでいう本来的自己も、この考え方につながっています。

本来的自己とは、

「私は何を大切にし、この人生を、自分自身の人生としてどう生きるのか」

という問いを担う自己の側面です。

だから、「本来的」と呼んでいます。

「本当の自分」は、見つけるものなのか

もし、心の奥に完成された「本当の自分」があるのなら、それを発見できれば人生の答えも見つかるのかもしれません。

しかし、実際の人生は、それほど単純ではありません。

人と出会います。
仕事をします。
失敗します。
病気になることもあります。
大切なものを失うこともあります。
新しい役割を引き受けることもあります。
年齢を重ね、身体も変わります。

そうした経験を通して、それまで大切だと思っていたものが変わることもあります。

だから、自分というものを、

「どこかに完成していて、それを探し出すもの」

と考えるだけでは、十分ではないのだと思います。

自分の中にある思いや違和感に気づく。
何を大切にしたいのかを考える。
実際に選んでみる。
その結果を受け取る。
そして必要なら、もう一度問い直す。

そうした人生の積み重ねの中で、自分自身も形づくられていきます。

「本当の自分」は、最初から完成した答えとして存在するというよりも、自分の人生を生きる中で、少しずつ形になっていくものと考えた方がよいのかもしれません。

自分らしく生きるとは、自分の人生を引き受けること

自分らしく生きるとは、好きなことだけをすることではありません。

社会の役割をすべて捨てることでもありません。

人と違うことでもありません。

「私はこういう人間だ」という昔からの自己像を守り続けることでもありません。

身体には限界があります。
私たちは人との関係の中で生きています。
社会の中で、さまざまな役割も担っています。

それらをすべて切り離して、「純粋な自分」だけを生きることはできません。

生存・生活・人生のどれか一つだけが、「本当の自分」なのでもありません。

一人の人間が、生物として生存し、社会の中で生活し、その全体を自分の人生として生きています。

だからこそ、

身体の声も受け取る。
人との関係や、自分が担ってきた役割も大切にする。

そのうえで、

「私は、何を大切にしたいのか」
「これから、どのように生きたいのか」

と問い続ける。

そして、その時の答えを現実の中で生きてみる。

自分らしさとは、そのように、自分の人生を自分自身のものとして引き受けながら、少しずつ形づくっていくものなのではないでしょうか。

本来的自己は、「自分らしさ」そのものではありません。

本来的自己とは、

「自分らしく生きるとは、自分にとってどういうことなのか」

を問い続ける自己の側面です。

おわりに:「本当の自分」という答えから、「どう生きるか」という問いへ

私たちは、ときに「本当の自分」を探したくなります。

その願いを、否定する必要はないと思います。

そこには、

「人から与えられた役割を果たすだけではなく、自分の人生を、自分自身の人生として生きたい」

という切実な願いがあるからです。

けれども、そのために、心の奥に隠れている完成された「本当の自分」を見つけなければならないわけではありません。

むしろ大切なのは、

「私は何を大切にし、この人生をどう生きたいのか」

という問いを失わないことではないでしょうか。

Life三層モデルでは、その問いを担う自己の側面を、本来的自己と呼びます。

「本当の自分は何者なのか」という答えを探すことから、

「私は、この人生をどう生きるのか」という問いへ。

その問いを引き受けたところから、本来的自己を生きることが始まります。

次回への問い

この記事では、「本当の自分」を探すという願いの奥に、

「自分の人生を、自分自身の人生として生きたい」

という思いがあるのではないかと考えてきました。

そしてLife三層モデルでは、

「私は何を大切にし、この人生をどう生きたいのか」

という問いを担う自己の側面を、本来的自己と呼びます。

では、私たちが社会の中で担っているさまざまな役割と、本来的自己とは、どのような関係にあるのでしょうか。

役割を大切にしながらも、役割だけに自分を預けすぎずに生きることはできるのでしょうか。

そして、AIを含む時代の変化によって、これまで担ってきた役割が少しずつ変わっていくとき、私たちは何をもって自分の人生を生きるのでしょうか。

→ 次回、「役割を超えて、人は何を生きるのか」へ。

 

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