私たちは、考えるより先に感じている ― Life三層モデルから考える「意味づけ以前の経験」

はじめに:私たちは、考えてから感じているわけではない
私たちは、自分が考え、自分が選び、自分が生きていると思っています。
頑張ることも
休むことも
仕事を続けることも
人生の方向を決めることも
自分で考え、自分で決めているように感じています。
けれども、私たちの経験は、いつもその順番で起こるわけではありません。
「まだ頑張れる」と思っていても、強い眠気が出ることがあります。
「気にしないようにしよう」と考えていても、胃が重くなることがあります。
「順調なはずなのに」、なぜか虚しく感じることがあります。
反対に、理由はうまく説明できなくても、
「ここにいると安心する」
「この人とは、もう少し話していたい」
「こちらへ進んでみたい」
と感じることもあります。
私たちは、考えてからすべてを感じているわけではありません。
言葉で理解し、意味づけるより前に、すでに身体が反応し、感情が動き、何らかの違和感や安心感が現れていることがあります。
前回の記事では、遊びを、Lifeが役割や成果、意味だけに閉じないための余白として考えました。
余白の中では、すぐに意味をつけなくてもよい。
では、その意味づける前の時間に、私たちは何を経験しているのでしょうか。
今回は、Life三層モデルの最終回として、意味づけ以前の経験という視点から、身体・役割・人生、そして養生について考えてみたいと思います。
私たちは、固定された自己ではない
ここまでのシリーズでは、一人の人間の生(Life)を、生存・生活・人生という三つの営みから考えてきました。
生存を営む中で前景化する、生物的自己
生活を営む中で前景化する、役割的自己
人生を営む中で前景化する、本来的自己
もちろん、三人の自己がいるわけではありません。
一つの自己が、生存・生活・人生という異なる営みの中で見せる、三つの現れ方です。
そして、この自己は、最初から完成されたものでもありません。
身体が変わる。
人との関係が変わる。
役割が変わる。
経験の受け止め方が変わる。
その中で、自分が何を大切にするのかも、少しずつ変わっていきます。
自己とは、固定された実体ではなく、生存・生活・人生を営む中で生成し続けるものです。
では、その自己が考え、意味づけるより前には、何が起こっているのでしょうか。
そこにはまず、身体感覚や感情、まだ言葉にならない違和感や安心感があります。
身体は、考えるより先に反応する
私たちが意識的に考えるより先に、身体には変化が現れることがあります。
「まだ大丈夫」と思っているのに、眠くなる。
無理を続けているうちに、肩や首が硬くなる。
人前では平気なつもりなのに、家に帰ると急に力が抜ける。
緊張する場面では、呼吸が浅くなる。
安心できる人と話していると、いつの間にか身体の力が抜けている。
温かいものを食べて、ほっとする。
深く息を吐くと、少し身体がゆるむ。
こうした変化は、「こう感じよう」と考えて起こしているわけではありません。
身体は、環境や疲労、緊張、安全感、人との関係などに反応しながら、絶えず状態を変えています。
だから身体の変化は、ときに、自分が言葉で理解している以上のことを教えてくれます。
もちろん、眠気が必ず「休むべき」という答えを意味するわけではありません。
胃の不調や動悸、強い疲労などには、病気が関係していることもあります。
必要な医学的評価は欠かせません。
そのうえで、
「なぜ、今この身体の変化が続いているのだろう」
と見直してみる。
身体に現れた変化であっても、その背景には、生存だけでなく、生活の無理や人間関係、人生のあり方が関わっていることがあります。
身体の反応は、答えそのものではありません。
けれども、Life全体を見直す大切な手がかりになることがあります。
役割に追われると、感じていることが見えにくくなる
私たちは、社会の中でさまざまな役割を担っています。
親として
医療者として
支援者として
責任者として
職場の一員として
役割は、人間の生活を支える大切なものです。
責任を引き受ける。
人に応える。
誰かを支える。
信頼を築く。
そうした経験を通して、人は社会の中で自分を形づくっていきます。
けれども、役割に追われすぎると、自分の身体や感情に起きていることが見えにくくなることがあります。
「期待に応えなければならない」
「弱さを見せてはいけない」
「迷惑をかけてはいけない」
「自分がやらなければならない」
そう考えて頑張り続けるうちに、
疲れている
緊張している
本当は困っている
少し離れたい
という感覚を後回しにしてしまうことがあります。
問題は、役割そのものではありません。
役割を果たすことだけに追われ、自分の身体や感情に起きていることを受け取れなくなることです。
一方で、人との関係そのものが回復の支えになることもあります。
話を聞いてもらう。
役割を分かち合う。
弱さを見せても関係が壊れないと知る。
一人で抱えていたことを、誰かに任せる。
そうした経験によって、役割の担い方が少し変わることがあります。
回復とは、役割を捨てることではありません。
身体や感情に起きていることを受け取りながら、役割との関係を、その時の自分に合う形へ選び直していくことでもあります。
人生の問いも、最初から言葉になっているわけではない
人生についての問いも、最初から明確な言葉で現れるとは限りません。
「このままでよいのだろうか」
そうはっきり考える前に、
なんとなく落ち着かない。
以前ほど心が動かない。
順調なのに、どこか虚しい。
今まで大切だったことが、少し遠く感じる。
という経験が先に現れることがあります。
反対に、
理由はまだ分からないけれど、気になる。
なぜか惹かれる。
こちらへ進むと、少し納得できる感じがする。
ということもあります。
こうした感覚が、そのまま人生の正しい方向を示しているとは限りません。
不安によって違和感が生まれることもあります。
疲労によって何も楽しめなくなることもあります。
過去の経験や習慣的な思い込みが、判断に影響していることもあります。
だから、違和感を感じたからといって、すぐに人生を変える必要はありません。
しかし、まだ言葉になっていない違和感や納得感を、最初から無視しないことには意味があります。
本来的自己とは、その感覚が示す「正解」を見つける自己ではありません。
そうした経験も一つの手がかりとして、
「私は何を大切にしたいのか」
「この人生を、これからどのように生きたいのか」
と問い、選び直していくときに前景化する、自己の一つの側面です。
「意味づけ以前の経験」とは何か
ここまで見てきたように、私たちは、出来事を理解してから感じているわけではありません。
疲れ
緊張
安心
不快
違和感
惹かれる感じ
何となく落ち着かない感じ
まず何らかの経験があり、そのあとで、
「なぜそう感じたのだろう」
と考えることがあります。
本稿では、このような、言葉による解釈や人生上の意味づけに先立って、身体感覚、感情、気分、違和感などとして現れている経験を、「意味づけ以前の経験」と呼びます。
もちろん、完全に意味づけから切り離された純粋な経験が、どこかに独立して存在するという意味ではありません。
私たちの感じ方には、これまでの経験、記憶、人間関係、身体状態なども関わっています。
それでも、「今、自分は何を感じているのか」と確かめることと、「これは何を意味しているのか」と解釈することは、同じではありません。
すぐに説明する前に、まず起きていることを受け取る。
この順序を大切にすることで、生存・生活・人生の状態を、少し丁寧に見られるようになります。
未病では、小さな変化に気づくことが大切である
未病では、はっきりした病気になる前から、小さな変化が現れることがあります。
疲れが抜けにくい。
眠りが浅い。
胃腸の調子が安定しない。
身体の緊張が抜けない。
以前より気力が出にくい。
こうした小さな変化を、
「気のせいだ」
「もっと頑張ればよい」
と片づけずに、一度立ち止まって見てみる。
生存を支える身体の状態はどうか。
生活にはどのような無理があるのか。
人間関係や役割に、緊張が続いていないか。
人生において、これまで大切にしてきたことや生き方が、今の自分に合っているか。
小さな身体の変化が、その原因や意味をすべて教えてくれるわけではありません。
しかし、そこからLife全体を見直すことはできます。
未病を治めるとは、小さな変化に大きな意味を与えることではありません。
小さな変化を見過ごさず、生存・生活・人生の関係のどこを見直すことが、回復の入口になりそうかを確かめることです。
回復には、身体の調整と、選び直す余地の両方が関わる
身体には、状態を調整し、傷ついたところを修復し、休息によって回復しようとする働きがあります。
眠る。
食べる。
休む。
緊張がゆるむ。
そうした基本的な条件が整うことで、身体の状態が少しずつ戻ることがあります。
そして、身体が少し整うと、生活や人生について考える余裕が戻ることもあります。
疲れ切っていたときには、「もう無理だ」としか思えなかった。
少し休めるようになると、「ここは人に頼ってもよいのではないか」、「この役割は、少し減らせるかもしれない」と考えられるようになる。
また、人との関係が変わることで、身体の緊張がゆるむこともあります。
人生の見方が変わることで、休むことや断ることを許せるようになることもあります。
回復は、身体だけで起こるものでも、考え方だけで起こるものでもありません。
生存・生活・人生は互いに影響しながら変化します。
その中で、身体の状態が整ったり、生活に余白が戻ったり、人生の選択肢が少し広がったりする。
そのような過程として回復を見ることができます。
養生と漢方治療は、回復しやすい条件を整える
養生とは、単に生活習慣を守ることではありません。
もちろん、食事、睡眠、運動、休息を整えることは大切です。
しかし、それだけではありません。
身体にどのような変化が起きているのか。
生活のどこに無理があるのか。
役割を抱え込みすぎていないか。
今の生き方が、自分の大切にしたいこととずれていないか。
そうしたことに気づきながら、回復しやすい条件を整えていく。
養生とは、生存・生活・人生のつながりを見ながら、回復しやすい条件を整えていくことでもあります。
漢方治療でも、症状だけを切り離して見るのではなく、その人に現れている身体の状態や偏りを見立て、それに応じて治療します。
漢方薬による治療と、睡眠や食事、活動量などの生活調整は、対立するものではありません。
必要な医学的評価や治療を行いながら、身体が調整・回復しやすい条件を整えていく。
そこに、漢方と養生がともに関わることができます。
そして、未病を治めるときには、生存・生活・人生のつながりに目を向けます。
身体の状態、生活の無理、役割の抱え方、人との関係、人生において大切にしていることを、その人のLife全体の中で見ていきます。
どこから関われば、回復の流れが生まれそうなのか。
その人と一緒に探していくことも、未病支援の大切な役割です。
おわりに:すぐに答えを出す前に、感じていることへ戻る
私たちは、何かが起きると、すぐに答えを出そうとします。
なぜ疲れているのか。
この症状にはどんな意味があるのか。
なぜこんなに苦しいのか。
これからどう生きればよいのか。
答えを探すことは大切です。
医学的な判断が必要なこともあります。
生活を変える必要があることもあります。
人生の選択をしなければならないこともあります。
けれども、その前に、
「今、自分には何が起きているのだろう」
と確かめる時間があってもよいのではないでしょうか。
身体は、どのような状態なのか。
どんな感情が動いているのか。
何に緊張し、何に安心しているのか。
何に違和感を覚え、何に心が動いているのか。
すぐに正解へ変えずに、まず経験として受け取ってみる。
そこから、意味づけが始まります。
そして、その意味づけをもとに、生活を見直したり、役割との関係を変えたり、人生の選択を考えたりすることができます。
そうした選び直しを通して、生存・生活・人生の関係も少しずつ変わっていきます。
私たちは、考える存在です。
しかし、考えるより先に、すでに何かを感じながら生きています。
Life三層モデルで見れば、そうした小さな経験も、生存・生活・人生を見直す入口になります。
そのことを忘れないことも、養生の一つなのだと思います。


