私たちは、固定された自分ではない ― Life三層モデルから考える「生成する自己」

はじめに:自分が分からなくなるとき
「自分が分からなくなった」
そんな感覚を抱いたことはないでしょうか。
病気をしたとき。
仕事や家庭で役割が大きく変わったとき。
子育てや介護に追われる日々の中で。
あるいは、これまで頑張ってきたのに、急に力が出なくなったとき。
以前の自分ならできていたことができない。
大切にしてきた価値観が揺らぐ。
何を優先すべきか分からなくなる。
そして、
「昔の自分に戻りたい」
「本当の自分は、どこに行ってしまったのだろう」
そう感じることがあります。
私たちは、自分というものを、どこかに固定された存在のように考えがちです。
変わることのない「本当の自分」があり、迷いや苦しみは、そこから外れてしまった状態だと考える。
だから、自分が変わることを怖れます。
弱くなった自分を責めます。
以前の自分に戻ろうとします。
けれども、本当にそうなのでしょうか。
私たちは、最初から完成された自己として生まれ、そのまま変わらずに生きているわけではありません。
身体が変わる。
人との関係が変わる。
担う役割が変わる。
経験の受け止め方が変わる。
そうした変化の中で、自己のあり方も少しずつ形づくられていきます。
Life三層モデルでは、一人の人間の生(Life)を、生存・生活・人生という三つの営みから捉えます。
今回は、この三つの営みを手がかりに、変わりながら生きる自己について考えてみたいと思います。
私たちは「変わらない自分」を探しがちである
「本当の自分」
「自分らしさ」
「ありのままの私」
そうした言葉には、私たちを安心させる力があります。
周囲の期待に振り回されず、自分の感覚や価値観を大切にすることは必要です。
けれども、「本当の自分」がどこかに完成された形で存在していて、人生とはそれを探し当てることだと考えると、苦しくなることがあります。
なぜなら、私たちは生きているかぎり変わるからです。
若いころの自分と、今の自分は同じではありません。
以前は平気だったことが、今は負担になる。
かつて大切だと思っていたことに、あまり心が動かなくなる。
反対に、昔は気づかなかった小さなことが、とても大切に感じられるようになる。
その変化を、私たちはときに、
「自分を失った」
「昔の自分ではなくなった」
と感じます。
しかし、変わったからといって、まったく別の人になったわけではありません。
これまで生きてきた身体があります。
積み重ねてきた経験や記憶があります。
人との関係や、受け継いできた物語があります。
私たちは、それらを引き継ぎながら変わっていきます。
ここでいう「生成」とは、必ず成長したり、よりよい自分になったりすることではありません。
身体や関係、役割、経験の変化を受けながら、自己のあり方が形づくられ直していくことです。
そこには、成長や回復だけでなく、喪失、迷い、立ち止まる時間も含まれます。
自己は、変わらない完成品ではない。
しかし、変化するたびに、すべてが失われるわけでもない。
私たちは、これまでの自分を引き継ぎながら、変わり続けているのです。
身体の変化とともに、自己も変わる
私たちは、身体を離れて生きることはできません。
食べる。
眠る。
動く。
休む。
病む。
回復する。
こうした生存の営みとともに、自己のあり方も変化します。
若いころは、多少無理をしても回復できた。
睡眠を削っても、何とか乗り切れた。
疲れても、気力で押し切れた。
けれども、ある時期から同じやり方が通用しなくなることがあります。
疲れが抜けない。
眠りが浅くなる。
食べ方が身体に響く。
以前なら気にならなかった不調を、無視できなくなる。
そのとき私たちは、
「身体が弱くなった」
「昔の自分ではなくなった」
と感じることがあります。
けれども、現在の身体に合わない生き方を、以前と同じように続けることだけが、自分らしさではありません。
疲労や睡眠、食欲、痛みなどの変化を確かめる。
無理を重ねていなかったかを振り返る。
今の身体に合った休み方や働き方を探す。
そうする中で、身体との関わり方も、日々の選び方も変わっていきます。
以前の身体機能や生活を取り戻すことは、大切な回復の一つです。
一方で、すべてを以前と同じ状態に戻せないときにも、現在の身体とともに生きられる新しい生活を探すことができます。
病気や未病には、あらかじめ決められた意味があるわけではありません。
それでも、その経験が、身体の状態や生活の負荷を見直す契機になることはあります。
昔の自分に戻ることだけが、回復ではないのです。
役割と関係の中で、自己は形づくられる
私たちは、社会の中でさまざまな役割を担っています。
家庭では、親であり、子であり、配偶者である。
仕事では、医療者であり、支援者であり、教える人であり、責任を担う人である。
こうした役割は、外から与えられるだけのものではありません。
実際に役割を担い、人と関わり、迷い、学ぶ中で、その役割との関係が形づくられていきます。
新人の医療者が、最初から医療者として完成しているわけではありません。
知識を学び、判断に迷い、患者さんや同僚と関わる中で、専門職としてのあり方が少しずつ形づくられます。
親も同じです。
子どもとともに生活し、喜び、悩み、失敗しながら、親としてのあり方が変わっていきます。
役割は、人を育て、社会とのつながりを支えることがあります。
一方で、
「ちゃんとしなければならない」
「迷惑をかけてはいけない」
「弱音を吐いてはいけない」
という思いが強くなりすぎれば、自分を縛るものにもなります。
けれども、役割の担い方は一つではありません。
生活が変われば、責任の果たし方も変わる。
経験を重ねれば、人との関わり方も変わる。
身体の状態が変われば、引き受けられる範囲も変わる。
役割を担い続けながら、その担い方を変えることもあります。
必要に応じて、人に委ねたり、一時的に距離を取ったり、役割を手放したりすることもあります。
人生を捉え直す中で、自己のあり方も変わる
人生には、これまで当然だと思っていた生き方を、問い直す時期があります。
「私は何を大切にしたいのか」
「これから、どのように生きたいのか」
「何のために、この役割を担っているのか」
こうした問いは、身体や社会から切り離された内面だけに生じるものではありません。
病気を経験したこと。
人との関係が変わったこと。
役割を果たせなくなったこと。
思いがけない喜びや出会いがあったこと。
そうした経験を人生全体の中で捉え直すとき、何を大切にして生きるのかという理解も変わっていきます。
責任を果たすことが何より大切だった人が、病気を経験して、身体を大切にする意味を知ることがあります。
人を支えることに全力を尽くしてきた人が、疲れ果てたとき、
「私は、なぜここまで頑張ってきたのだろう」
と問い始めることがあります。
また、喜びや出会い、学びを通して、これまで気づかなかった生き方へ開かれることもあります。
その中で、役割の担い方が変わる。
責任の果たし方が変わる。
人生の優先順位が変わる。
それは、昔の自分が偽物だったということではありません。
これまでの自分を引き継ぎながら、今の経験と条件の中で、自己のあり方が変わり始めているのです。
一人の自己は、三つの営みの中で生成する
ここまで、生存・生活・人生という三つの営みに関わる変化から、自己がどのように形づくられるのかを見てきました。
けれども、これらは別々に進むものではありません。
疲労が続けば、役割の担い方や人との関わりが変わることがあります。
過重な役割や緊張した関係が、休息や回復を妨げることもあります。
経験の受け止め方や大切にしたいことが変われば、働き方や休み方を選び直すこともあります。
たとえば、支援する立場として長く頑張ってきた人がいるとします。
責任を抱え、無理を重ねるうちに、疲れが抜けなくなった。
以前のように役割を果たせず、自分を責めるようになった。
その経験を通して、
「自分がすべてを引き受けることだけが、誠実な支援なのだろうか」
と考え始めることがあります。
その問いから、人に相談するようになる。
役割の一部を委ねるようになる。
休むことを、支援を続けるために必要な選択として捉え直すようになる。
身体の状態、役割との関係、人生において大切にしたいことが、互いに関わりながら変化していきます。
Life三層モデルは、人を三つに分けるためのモデルではありません。
一人の人間が、生存・生活・人生という三つの営みを生きる中で、自己がどのように形づくられているのかを見るためのモデルです。
自己の生成は、自分の意思だけで起こるものでもありません。
身体の変化。
他者との出会い。
社会から求められること。
思いがけない出来事。
私たちは、自分で選びながら生きています。
同時に、自分では選べなかったものからも形づくられています。
その両方を引き受けながら、自己は生成し続けているのです。
おわりに:私たちは、変わりながら自己であり続ける
私たちは、生存し、生活し、人生を生きています。
身体の状態も、人との関係も、担う役割も、経験の受け止め方も、その三つの営みに関わり合っています。
そうしたLifeの中で、自己のあり方は形づくられ続けています。
病気をすること。
疲れること。
役割に悩むこと。
人生の意味が分からなくなること。
それらは、自分を失う出来事のように感じられることがあります。
けれども、昔の自分と違っていることは、自分がなくなったことを意味しません。
これまでの身体、経験、関係、記憶を引き継ぎながら、私たちは変わっていきます。
生成とは、過去の自分を捨てて、新しい自分へ生まれ変わることではありません。
これまでを引き継ぎながら、生存・生活・人生の中で起こるさまざまな変化や経験を受け取り、自己のあり方が形づくられ直していくことです。
私たちは、固定された自分ではありません。
しかし、変化するたびに別人になるのでもありません。
変わりながら、自己であり続ける。
それが、Lifeの中で生成する自己なのだと思います。
次回への問い
この記事では、自己を固定された実体ではなく、生存・生活・人生の営みの中で生成するものとして考えてきました。
それでも私たちは、ときに「本当の自分」を探したくなります。
変わり続ける自己の中で、「自分らしさ」とは何を意味するのでしょうか。
そして、固定された本当の自分があるわけではないとすれば、私たちはなぜ、それを探し求めるのでしょうか。
→ 次回、「人は、なぜ『本当の自分』を探すのか」へ。

