Life三層モデルとは ― 生存・生活・人生から、人間の生と健康を捉える

はじめに:Life三層モデルは、何のためのモデルなのか
Life三層モデルを考えた直接の目的は、人間が生きるとは、どのような営みなのかを理解することです。
人間は、ただ生命を維持しているだけではありません。
社会の中で暮らし、さまざまな役割を担い、自分の生について考えながら人生を生きています。
さらに人間には、自分自身を「私」として認識するという特徴があります。
「私は疲れている」
「私は親である」
「私は、これからどのように生きたいのだろう」
そのように、自分自身を感じ、考えながら生きています。
そのためLife三層モデルでは、人間の生の営みを理解すると同時に、その中で自己がどのように現れるのかを理解することも大切な目的としています。
そして、その先にはもう一つの目的があります。
それは、人間の健康を、身体だけではなく、その人がどのように生きているのかという生全体から捉え直すことです。
Life三層モデルは、人間の生と自己を理解するためのモデルであると同時に、健康や未病をより広い視野から考えるための見取り図でもあります。
Lifeとは、人間の生である
Life三層モデルが対象としているのは、生命一般ではありません。
植物や動物を含めた生命現象全体ではなく、人間が生きているという営み、すなわちhuman lifeです。
人間の生は、本来一つの連続した営みです。
しかし、その営みを理解するために、Life三層モデルでは、生存・生活・人生という三つの層に分けて考えます。
生存 ― 生物として生きる
人間は動物であり、生物です。
呼吸し、食べ、眠り、体温を保ち、傷を修復し、環境の変化に適応しながら身体を維持しています。
こうした、生物として生き続ける営みが生存です。
生存の層では、身体の状態や、生命を維持するための調整、回復、適応などが重要になります。
生活 ― 社会の中で生きる
人間は、生物として生存しているだけではありません。
家族、学校、職場、地域など、さまざまな人との関係の中で暮らしています。
親として、子として、仕事をする人として、誰かを支える人として、それぞれの役割を担いながら日々を営んでいます。
こうした、他者と関わり、役割を担いながら社会の中で生きる営みが生活です。
人生 ― 自分の生を生きる
さらに人間は、自分の生そのものについて考えることができます。
「私は何を大切にしたいのだろう」
「私はどのように生きたいのだろう」
「この限られた時間を、何のために使いたいのだろう」
そうした問いを持ちながら、自分の生き方を選び、経験を意味づけていきます。
こうして、自らの生を自分の人生として生きる営みが人生です。
三つの層は、別々の生ではない
生存・生活・人生は、三つの別々の生ではありません。
一人の人間が、
生物として生存し、社会の中で生活し、その全体を自分の人生として生きています。
三つに分けるのは、人間そのものを三つに分割するためではありません。
生存・生活・人生では、営みの内容や、そのときに大切になるものが異なるため、理解しやすいように便宜上区別しているのです。
しかも三つの層は、互いに影響し合っています。
身体を壊せば、それまでの生活を続けられなくなることがあります。
仕事や家族関係の変化によって、身体の調子を崩すこともあります。
人生の意味や方向を見失うことが、生活や身体に影響することもあります。
反対に、身体が回復することで生活が変わり、生活が変わることで新しい人生の可能性が開かれることもあります。
Life三層モデルは、三つの層に分けて考えると同時に、そのつながりから一人の人間の生全体を見るモデルでもあります。
一つの自己も、三つの側面から現れる
人間には、自分自身を「私」として認識できるという特徴があります。
Life三層モデルでは、この自己についても、生存・生活・人生という三つの営みに対応させて考えます。
| Lifeの層 | 生の営み | 前景化する自己 |
|---|---|---|
| 生存 | 生物として生きる | 生物的自己 |
| 生活 | 社会の中で生きる | 役割的自己 |
| 人生 | 自分の生を生きる | 本来的自己 |
生存の中で前面に現れやすいのが、生物的自己です。
「疲れた」「痛い」「眠りたい」「休みたい」といった身体の感覚や欲求を通して、身体をもって生きている私が現れます。
生活の中で前面に現れやすいのが、役割的自己です。
「親として頑張らなければならない」「仕事の責任を果たさなければならない」といった、他者との関係や社会的役割の中で現れる自己です。
人生の中で前面に現れやすいのが、本来的自己です。
ここでいう本来的自己とは、どこかに隠れている固定された「本当の自分」という意味ではありません。
社会的な役割や、その時々の欲求だけでは決まらないところから、
「私はどのように生きたいのだろう」
「私にとって大切なものは何だろう」
と、自分の人生を問い、選び直していく自己を意味しています。
自己は三つあるのではない
ここで大切なのは、三つの自己が別々に存在しているわけではないということです。
自己そのものは一つです。
一人の「私」が、生存・生活・人生という異なる営みの中で、それぞれ異なる側面を前面に現していると考えます。
そのため、同じ出来事についても、異なる感じ方や考え方が生まれることがあります。
たとえば仕事を続けることについて、生物的自己は、
「身体が疲れている。休みたい」
と感じるかもしれません。
役割的自己は、
「自分が休めば周囲に迷惑をかける。責任を果たさなければならない」
と考えるかもしれません。
本来的自己は、
「私はこれからも、この働き方を続けたいのだろうか」
と問い始めるかもしれません。
これは、三人の自己が別々に主張しているということではありません。
一人の人間の中に、生存・生活・人生という異なるところから、異なるこころの動きが生じているのです。
こころは、三つの層すべてに現れる
欲求、感情、思考、意志などのこころの動きも、特定の一つの層だけにあるものではありません。
身体が疲れていれば、「休みたい」という欲求が生まれます。
役割を果たせないと感じれば、不安や罪悪感が生じることがあります。
人生の方向を見失えば、「このままでよいのだろうか」という迷いが生まれることもあります。
このように、こころの動きも、生存・生活・人生のすべてに現れ、その関係の中で変化しています。
身体・社会・精神を三つの層に当てはめるわけではない
Life三層モデルを説明するときには、身体、社会、精神という言葉も使います。
生存では、身体が重要な位置を占めます。
生活では、他者との関係や社会的な役割が重要になります。
人生では、価値や意味、生きる方向を考える精神的な働きが重要になります。
しかし、
生存=身体
生活=社会
人生=精神
と一対一に対応させるわけではありません。
身体と精神を切り離して人間を考えることはできませんし、身体と精神をもった人間が社会の中で生きています。
身体は、生存だけではなく生活にも人生にも関わります。
社会との関係は、生活だけではなく、生存や人生にも影響します。
精神的な働きも、人生だけではなく、生存や生活を含めた人間の生全体に関わっています。
したがってLife三層モデルでは、身体・社会・精神をそれぞれの層に割り当てたり、モデル独自の意味で厳密に定義したりはしません。
これらは一般に使われている意味で、人間の生を説明するための言葉として必要に応じて用います。
Life三層モデルから、健康を捉え直す
Life三層モデルが役立つ重要な場面の一つが、人間の健康を理解するときです。
WHOは、健康を単に病気や虚弱がないことではなく、身体的・精神的・社会的なwell-beingを含むものとして定義しています。
この定義の重要な点は、健康を身体だけの問題として捉えていないことです。
検査で異常がないからといって、その人が十分に健康であるとは限りません。
強い不安を抱えていることもあります。
仕事や家庭で大きな負担を抱えていることもあります。
自分が何のために生きているのかわからなくなっていることもあります。
健康を考えるには、人間全体を見る必要があります。
ただし、WHOの定義にある身体的・精神的・社会的という三つの側面を、そのまま人間の生の三層と考えることには注意が必要です。
身体・精神・社会は、互いに切り離して存在しているわけではないからです。
そこでLife三層モデルでは、別の角度から人間の健康を見ます。
健康にはどのような側面があるのかではなく、その人がどのような生を営みながら生きているのかを見るのです。
健康を、生存・生活・人生から考える
Life三層モデルから健康を見ると、問いは次のように広がります。
生存については、
生物として、その人なりに生き続けられているだろうか。
生活については、
社会の中で、無理を重ねすぎることなく生活を営めているだろうか。
人生については、
自分が大切にしたいものを見失わず、自分なりの方向を持って人生を生きられているだろうか。
もちろん、この三つを別々に評価するわけではありません。
生存・生活・人生は互いに影響しながら、一人のhuman lifeをつくっています。
したがって健康も、単に身体の状態だけではなく、その人が生存し、生活し、人生を生きている、その生全体のあり方として考えることができます。
ここに、Life三層モデルから健康を見る大きな利点があります。
健康を「状態」だけでなく「営み」として見る
さらにLife三層モデルでは、健康を完成された静的な状態としてだけではなく、生きる過程として捉えることができます。
人間は、いつも完全に整っているわけではありません。
身体を崩すことがあります。
生活が乱れることがあります。
人生の方向を見失うこともあります。
それでも私たちは、身体を整え、生活を組み替え、人生を問い直すことができます。
変化する条件の中で、生存・生活・人生の関係を調整しながら、その人なりによりよく生きていく。
健康を、そのような動的な営みとして考えることができます。
健康とは、三つの層がいつも理想的な状態にあることではありません。
揺らぎながらも、生存・生活・人生を調整し、再び生きていける形をつくっていくことも、健康の重要な側面なのです。
その先に、未病を考える視点が開かれる
このように健康を捉えると、未病について考える視点も広がります。
身体に明確な病気が現れる前から、人間の生にはさまざまな揺らぎが生じています。
身体の調整がうまくいかなくなっていることがあります。
生活の中に無理が積み重なっていることがあります。
これまでの生き方に違和感を覚え、人生の方向に迷っていることもあります。
そして、それらは別々に起こっているとは限りません。
生活の無理が身体に現れたり、人生の迷いが生活の選択に影響したり、身体の不調が人生を問い直すきっかけになったりします。
Life三層モデルを使うことで、未病を身体だけの問題としてではなく、生存・生活・人生の関係に生じたhuman life全体の揺らぎとして捉える視点が生まれます。
このことについては、続く記事でさらに考えていきます。
おわりに:人間の生と健康を見渡すための見取り図
Life三層モデルは、人間を三つに分けるためのモデルではありません。
一つのhuman lifeを、生存・生活・人生という三つの営みから理解するためのモデルです。
そして、その一つの生の中で、自己もまた、生物的自己・役割的自己・本来的自己という異なる側面を現します。
この見取り図を持つことで、身体の不調、役割の重さ、人間関係の苦しさ、自分らしさへの迷い、人生の意味や方向といった問題を、一つの人間の生の中に位置づけて考えることができます。
さらに、健康についても、身体だけを見るのではなく、
その人がどのように生存し、どのように生活し、どのように人生を生きているのか
というhuman life全体から捉えることができます。
そして、その視点は、病気になる前の揺らぎ――未病――を理解することにもつながっていきます。
Life三層モデルは、人間の生と自己を理解し、そこから健康と未病を考えていくための見取り図です。
→ 次回、「未病には三つの揺らぎがある」へ。



まずは自分の三層を見つめ直します。