ホロン的調和と未病:生命の智慧から、健康と生き方を捉え直す(第1回)

未病とは何か? ― 病気の手前ではなく、「調和のゆらぎ」としての未病

はにめに

病気は、ある日突然始まるわけではありません。

多くの場合、私たちの体の中では、症状が現れる何年も前から、静かな変化が起きています。けれどその変化は、痛みもなく、検査値にも表れず、日常生活にも大きな支障をきたさないため、ほとんどの場合、見過ごされてしまいます。

「なんとなく疲れやすい」
「以前より回復に時間がかかる」
「気分が安定しない」

こうした状態は、病気とは言えないかもしれません。しかし同時に、「完全に健康」とも言い切れない。この曖昧な領域をどう捉えるか――そこに未病という考え方があります。

未病は「予防のための言葉」なのか?

未病という言葉は、一般には「病気の手前の段階」「予防のために早めに対処すべき状態」と説明されることが多いように思います。

もちろん、その理解は間違いではありません。早い段階で体の変化に気づき、生活を見直すことはとても大切です。

ただ、未病を「管理すべき状態」「改善すべき問題」としてのみ捉えてしまうと、どこか息苦しさが生まれます。体調のわずかな変化にも敏感になりすぎたり、「ちゃんと整えなければ」という意識が、かえって心身の緊張を高めてしまうこともあります。

もしかすると、未病は対処すべき問題というより、読み取るべきサインなのではないでしょうか。

生命は、壊れる前に必ず「揺らぐ」

私たちの体は、常に一定の状態を保っているように見えます。しかし実際には、体温、血圧、ホルモン、免疫反応など、すべてが細かく揺れ動きながら保たれています。

この「揺らぎながら保たれる状態」を、医学では恒常性(ホメオスタシス)と呼びます。重要なのは、恒常性とは固定された安定ではなく、動的なバランスだという点です。

生命は、常に微調整を繰り返しながら生きています。そして、その調整がうまくいかなくなり始めたとき、いきなり壊れるのではなく、まず「揺らぎの質」が変わります。

未病とは、この段階に現れる状態です。それは異常ではありません。むしろ、生命が「このままでは無理がある」と教えてくれているサインだと考えることもできます。

未病を「調和のゆらぎ」として捉え直す

ここで、未病を少し違った角度から見てみましょう。

健康と病気を、白か黒かで分けるのではなく、調和が保たれている状態その調和が揺らぎ始めた状態という連続したプロセスとして捉えるのです。

この視点に立つと、未病は「病気の手前」ではなく、生命の調和が静かに変化し始めた状態と表現できます。

調和が完全に崩れてしまう前だからこそ、体はまだ柔軟で、回復する力も残っています。未病とは、決して悲観すべき状態ではありません。むしろ、生命の回復力がまだ十分に働いている、大切な段階なのです。

この連載で扱う、もう一つの視点

この連載では、未病と健康を一つの生命構造として捉えていきます。

そのために、細胞個体(私たち一人ひとり)、そして社会という複数のレベルを行き来しながら考えていきます。

なぜなら、私たちの体も、人生も、社会も、実はよく似た構造を持っているからです。

次回は、その構造を理解するための鍵となる「ホロン」という視点についてお話しします。

それは、「自分らしく生きること」と「社会の中で生きること」を対立させずに捉えるための、とてもシンプルで深い考え方です。


この第1回は、未病を「学ぶ対象」に変えるための入口です。

次回から、少しずつ視野を広げながら、未病という概念の奥行きを、一緒に探っていきましょう。

第2回「ホロンという視点」を読む→

 

「ホロン的調和と未病」は、以下の3部(全8回)で構成されています。

【第1部:未病を問い直す】
第1回|未病とは何か? ― 病気の手前ではなく、「調和のゆらぎ」としての未病
第2回|ホロンという視点 ― 私たちは「全体であり、部分でもある」存在

【第2部:生命はどう調和しているのか】
第3回|細胞レベルのホロン的調和 ― 健康な細胞は、どうやって全体と協調しているのか
第4回|個体レベルのホロン的調和 ― 自分らしさと社会適応は、両立できる
第5回|社会レベルの未病 ― 社会もまた、ひとつの生命システムである

【第3部:調和の中で生きる】
第6回|調和させるのではなく、調和の中で生きる ― 無為自然・禅・縄文的在り方との接続
第7回|ホロン的調和としての健康 ― 健康とは、コントロールではなく統合である
第8回|未病を学ぶということ ― 生命の調和を観察し、育てるという知性

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