序章 病気を抱えているのに、なぜ彼女は幸せそうなのだろう
画面の向こうで、Aさんが笑っていました。
その日は、数人が集まる小さなオンラインの会が開かれていました。住んでいる場所も年齢も違います。それぞれが最近あったことや、少し気になっていることを話していました。
一人が、久しぶりに友人と出かけたときのことを話していました。
「行くまではちょっと面倒だなと思ってたんですけど、行ったらすごく楽しくて」
「そういうこと、ありますよね」
Aさんが笑うと、別の人が言いました。
「私もあります。出かけるまでが一番大変なんですよ」
「じゃあ、行ってよかったと思えるのは、どんなときなんでしょうね」
Aさんがそう言うと、何人かが少し考えました。
そこから、会いたい人に会うことや、自分のために時間を使うことへと話が広がっていきました。誰かの話から別の人の経験が出てきて、またそこから別の話につながります。
Aさんは、ときどき問いかけながら、そのやりとりを楽しそうに聞いていました。
気がつくと、三十分がたっていました。
Aさんが時計を見ました。
「今日は、このあたりにしましょうか」
「もう終わりですか」
誰かが笑いました。
「はい。続きはまた今度にしましょう」
Aさんも笑いました。
「私が元気なうちに終わるのが、この会のルールなんです」
画面の向こうから、また笑い声が返ってきました。
そんなふうに時間を区切ることも、今では日常の一部になっていました。
冗談のように聞こえましたが、それには理由があります。
Aさんには、長く付き合っている病気があります。慢性疲労症候群です。
少し調子のよい日に動きすぎると、そのあと体調が大きく崩れることがあります。外出できない日もあり、予定のあとには十分に休む必要があります。
以前のように自由に動ける身体ではありません。病気は治ったわけではなく、できないことも今もたくさんあります。
会が終わろうとしたとき、一人がふと思い出したように言いました。
「Aさんって、いつも楽しそうですよね」
Aさんは少し驚いたように顔を上げました。
「そうですか?」
「うん。もちろん、大変な日もあると思うんですけど」
その人はいったん言葉を止めてから、尋ねました。
「どうして、そんなに楽しそうなんですか?」
Aさんはすぐには答えませんでした。少し考えて、それから笑いました。
「どうしてでしょうね」
冗談のような言い方でした。けれど、その表情には、何かを思い出しているようなところがありました。
「じゃあ、また次回」
「ありがとうございました」
一人ずつ画面が消えていきました。
最後の一人に手を振ると、Aさんも手を振り返しました。
そして、パソコンを閉じました。
部屋が静かになると、Aさんは椅子の背にもたれました。
楽しかった。今日も参加してよかった。
そう思いながらも、そのまま立ち上がって家事を始めることはしませんでした。身体には、すでに少し重さが出始めています。
やがてソファに横になりました。こういう日は、ここで止めておかなければならないことを知っています。
もう少しできそうな気がしても、そこでやめる。以前なら、そんなことは考えもしませんでした。
窓の外には、午後の光が残っていました。横になったまま、先ほどの言葉を思い出しました。
――どうして、そんなに楽しそうなんですか?
身体がもっと楽ならいいのに、と思うことはあります。行きたい場所へ行けず、残念に思う日もあります。体調を崩して、何日も動けないこともあります。
それでもAさんは、今の人生を不幸だとは感じていませんでした。
できることは限られています。使える時間にも限りがあります。人の助けが必要なこともあります。
それなのに、なぜなのでしょう。
かつてAさんを知っていた人が今の姿を見れば、不思議に思うかもしれません。病気によって多くのものを失ったはずの人が、なぜこんなふうに笑っているのだろう、と。
Aさんは、初めからこうだったわけではありません。
今のように笑えるようになるまでには、長い時間がありました。
その時間の中で、Aさんに何が起こったのでしょうか。
病気が治ったからではありません。失ったものを、すべて取り戻したからでもありません。
それでも今、Aさんは言います。
「私は、今の人生がけっこう好きなんです」
では――
この人に、いったい何があったのでしょう。
第1章 私は、ちゃんと生きていた
「Aさん、ちょっといいですか」
昼休みが終わる少し前、後輩が書類を持ってきました。
「この資料なんですけど、どうしてもうまくまとまらなくて」
Aさんは受け取った紙に目を通しました。何を伝えたいのかはわかります。ただ、情報が多く、初めて読む人には少し流れがつかみにくそうでした。
こう直せばいい、という案はすぐに浮かびましたが、書類を机に置きました。
「自分では、どこが一番わかりにくいと思う?」
「え?」
後輩は少し戸惑いました。
「うーん……情報が多すぎるところですかね」
「じゃあ、初めて読む人だったら、何を先に知りたいかな」
後輩はもう一度、書類に目を落としました。
Aさんは黙って待ちました。
しばらくして、後輩が一枚目の紙を指さしました。
「これ、最初じゃないですね」
「どうして?」
「この話をする前に、そもそも何のための資料なのかを書かないと、わからないかも」
Aさんはうなずきました。
「じゃあ、そこから直してみようか」
「はい」
後輩は書類を持って自分の席へ戻りました。
少したつと、「あ、これならいけそうです」という声が聞こえてきました。
Aさんはパソコンの画面を見ながら、少し笑いました。
自分が直してしまえば、もっと早かったかもしれません。それでも、後輩自身が何かをつかんだ様子を見ると、うれしくなりました。
Aさんは、会社では頼られるほうでした。
仕事を覚えるのは比較的早く、任されたことはきちんと終わらせました。わからないことがあれば調べ、必要なら人に聞き、次に同じことが起きたときには自分で対応できるようにしておく。若い頃から、そうやって仕事を覚えてきました。
年齢を重ねるにつれて、自分の仕事だけでなく、後輩の指導や部署全体の調整も任されるようになりました。
「Aさんに聞けば、だいたいわかる」
そう言われると、悪い気はしませんでした。
忙しい時期には、朝から予定が詰まっていました。自分の仕事を進めながら相談を受け、会議に出て、席へ戻るとメールがたまっています。一つ片づけたと思うと、別の人から声をかけられました。
疲れることはありましたが、その毎日を嫌だとは思っていませんでした。自分にできることがあり、それを必要としてくれる人がいる。そのことには、確かな手応えがありました。
後輩が少しずつ仕事を覚えていくのを見るのも、Aさんは好きでした。
初めは一から説明しなければならなかった人が、「ここまでは自分でやってみました」と資料を持ってくる。そのうち、「今回は、こうしたほうがいいと思うんですけど」と、自分の考えを話すようになります。
さらに時間がたつと、その人が別の後輩に仕事を教えていることもありました。
そんな姿を見ると、自分の仕事が一つ減ったというより、何かが次へ渡っていくように感じました。
仕事だけをしていたわけではありません。
家に帰れば、家のことがありました。買い物をして、食事のことを考え、必要な用事を片づける。休日にはたまった家事を済ませ、家族の予定に合わせて出かけることもありました。
「今度の日曜、空いてる?」
家族に聞かれると、Aさんはスマートフォンの予定表を開きました。
「午後なら大丈夫」
「また予定入ってるの?」
「午前中だけ。ちょっと用事があるから」
「ほんと、じっとしてないね」
Aさんは笑いました。
「そうかな」
自分では、それほど忙しいつもりはありませんでした。
仕事があり、家のことがあり、ときどき友人と会う。興味のあることがあれば本を読み、必要だと思えば勉強する。
そういう毎日が、Aさんにとっては普通でした。
Aさんは、何かを学ぶことも嫌いではありませんでした。
仕事に必要なことはもちろん、それ以外でも、気になることがあれば調べました。
書店へ行くと、目的の本だけを買って帰ることはあまりありません。棚を眺めているうちに別の本が気になり、つい手に取ってしまいます。
「また本買ったの?」
家族に言われたこともありました。
「これは仕事で使うから」
「この前もそう言ってたよ」
「この前のとは違うの」
そんなやりとりをしながら、買った本を机の上に積みました。
学んだことが仕事に役立つとうれしかったし、自分が知ったことを誰かに説明して、「そういうことだったんですね」と言われるのもうれしいことでした。
それを特別なことだとは考えていませんでした。知りたいことがあれば調べ、わかったことがあれば必要な人に伝える。それもまた、自分の日常の一部でした。
ある日、最初に相談に来た後輩が、資料を持って戻ってきました。
「できました」
「見せて」
前よりずっとわかりやすくなっていました。
Aさんは何か所か確認してから、資料を返しました。
「いいと思うよ」
「ほんとですか?」
「うん。最初のよりずっとわかりやすい」
後輩はうれしそうに笑いました。
「Aさん、最初から答えを教えてくれれば早かったのに」
「それじゃ、次も私に聞きに来るでしょう」
「確かに」
二人で笑いました。
後輩は資料を抱えて席へ戻りかけましたが、途中で振り返りました。
「今度は私が新人に聞く番ですね」
「何を?」
後輩は少し考えるふりをしました。
「『あなたはどうしたい?』って」
Aさんは笑いました。
「いいんじゃない」
後輩が席へ戻っていくのを見送りながら、Aさんの胸に小さな温かさが残りました。
自分が教えた答えではなく、その人が自分で考えたことが、今度はまた別の誰かへ渡っていく。それが、何となくうれしかったのです。
夕方になっても、仕事は残っていました。
Aさんはパソコンの画面を見ながら、一つずつ片づけていきました。肩には少し重さがありましたが、一日働けば、このくらい疲れるのはいつものことでした。
明日になれば、また仕事があります。来週には会議があり、その先にも予定が入っています。
家に帰れば、家族との暮らしがあります。休日には買い物をしたり、友人と会ったり、読みかけの本を開いたりするでしょう。これから先も、仕事を覚え、誰かを育て、自分もまた新しいことを学んでいく。
そんなふうに思っていました。
大きな不満があったわけでも、何か別の人生を探していたわけでもありません。自分なりに働き、暮らし、人と関わりながら、一日一日を重ねていました。
それが自分の人生なのだと、あらためて問い直す理由もありませんでした。
人生は、このまま続いていくように思えました。
第2章 何も問題がないのに、何かが違った
その日は、いつもより少し早く仕事が終わりました。
外に出ると、まだ空に明るさが残っていました。毎日通っている道なのに、こんな時間に歩くことはあまりありません。駅へ向かう人の流れも、いつもよりゆっくりしているように見えました。
Aさんは歩きながら、ふと足を止めました。
道路の向こうに、小さなカフェがありました。窓際の席で、一人の女性が本を読んでいます。
特別な光景ではありません。それなのに、なぜか目に留まりました。
いいな。
何がいいのか、自分でもよくわかりませんでした。本を読んでいることなのか。一人でゆっくり座っていることなのか。それとも、まだ明るいうちに、自分のための時間を過ごしていることなのか。
信号が青になり、Aさんはまた歩き始めました。
カフェに入ろうとは思いませんでした。家に帰れば、することがあります。明日の仕事のことも少し考えておきたい。今日は早く帰れるのだから、その分、平日にできていなかったことを片づけておこう。
駅に着く頃には、さっきのカフェのことは、ほとんど忘れていました。
仕事は相変わらず忙しく続いていました。
新しい案件が始まり、Aさんはその中心を任されました。
「Aさんなら安心だから」
上司にそう言われ、
「ありがとうございます」
と自然に答えました。
期待されるのは、やはりうれしいものでした。
新しい仕事には、まだわからないこともあります。でも、調べればいい。人に聞けばいい。必要なら覚えればいい。
実際、新しい案件が始まってからは、少し早めに出勤したり、昼休みに資料を確認したりすることが増えていました。家に帰ってから、翌日の仕事について考えることもありました。
忙しくなれば、その分だけ時間の使い方を工夫する。わからないことが増えれば、調べる時間を増やす。Aさんは、これまでもそうやって仕事を覚え、任されたことに応えてきました。
難しい仕事ほど、できるようになったときには手応えがあります。今回もきっと何とかなると思っていました。
打ち合わせが終わると、同僚が声をかけてきました。
「また忙しくなりそうだね」
「そうですね」
「Aさん、どこまで仕事増えるんだろうね」
冗談めいた言い方でした。
Aさんも笑いました。
「ほんとですね」
「このままいったら、そのうちもっと上に行くんじゃない?」
「どうでしょう」
笑って答えながら、資料をそろえました。
同僚はそのまま自分の席へ戻っていきました。
ところが、Aさんの中には、なぜか最後の言葉だけが残りました。
――このままいったら。
手が止まりました。
このまま、自分はこの先もずっとこの仕事を続けていくのだろうか。
辞めたいわけではありません。仕事が嫌いなわけでもありません。むしろ、うまくいっていました。任されることも増え、周囲との関係にも大きな問題はありません。
それなのに、ほんの一瞬だけ、――私は、このままずっとここにいるのかな、という考えが浮かびました。
Aさんは少し首をかしげ、パソコンの画面に目を戻しました。
午後までに返さなければならないメールがありました。
その夜、家で食事をしながら、家族がこれからの予定について話していました。
来月のこと。
休みの日のこと。
近いうちに買い替えたいもののこと。
いつものような話でした。
「その日は私、たぶん仕事があるから」
そう言って、Aさんは手帳を確認しました。
予定はすでにいくつも入っていました。少し先のページをめくると、会議や研修、締め切り、その合間に家族の用事が並んでいました。
最近は、休日にも仕事が入ることが少し増えていました。一日中働くわけではありません。午前中だけ研修に出たり、家で少し資料を確認したりする程度です。そのあとに買い物や家の用事を済ませれば、休日もいつものように過ぎていきました。
ただ、以前なら何となく空いていた時間にも、少しずつ予定が入るようになっていました。
それを特に不満には感じていませんでした。どれも、そのときには必要だと思えることでした。
けれど、手帳の先に並んだ予定を見ているうちに、昼間の言葉がまた浮かびました。
――このまま、ずっと?
「どうしたの?」
家族に聞かれました。
「ううん、何でもない」
Aさんは手帳を閉じました。
本当に、何でもないような気がしました。疲れているだけかもしれない。誰だって、ときどきこんなことを考えるのだろう。
そう思いました。
数週間後、Aさんは社内の研修に参加していました。
その日は、これからの働き方について考える時間がありました。
「五年後、十年後の自分を想像してみてください」
講師が言いました。
参加者たちは資料に目を落とし、何かを書き始めました。
Aさんもペンを持ちました。
五年後。十年後。
今より仕事に慣れているだろう。もっと責任のある立場になっているかもしれない。後輩も増え、できる仕事も今より増えているはずです。
そこまで考えて、ペンが止まりました。
それは、十分にありそうな未来でした。むしろ、このまま順調に進めば、そうなるのが自然です。
それなのに、Aさんのペンはそこで止まりました。
嫌な未来だとは思いませんでした。けれど、その先をすぐに書き続けることもできませんでした。
周りを見ると、みんな何かを書いています。
Aさんも、思いつくことを書いてみました。
能力を高めること、より責任のある仕事をすること、後輩を育てること、働きやすい環境をつくること。
どれも間違っているとは思いませんでした。
とくに、人を育てることには少し心が動きました。
それでも用紙全体を見たとき、なぜか少しだけ引っかかるものが残りました。
何なのかは、わかりませんでした。
研修の帰り、同僚と駅まで歩きました。
「十年後なんて、わかんないよね」
同僚が笑いました。
「ほんとですね」
「でもAさんは、何となく想像つくなあ」
「そうですか?」
「今よりもっと仕事できるようになって、みんなに頼られてそう」
「それ、今とあんまり変わらないですね」
二人で笑いました。
「じゃあ、Aさんは何したいの?」
突然聞かれて、少し考えました。
「何したいって?」
「仕事で。これから」
「うーん」
答えは、すぐには出てきませんでした。
「とりあえず、今の仕事をちゃんとやることかな」
「Aさんらしい」
同僚はそう言って笑いました。
Aさんも笑いました。
話はそこで終わりました。
けれど、電車に乗ってからも、「何がしたいの?」という言葉がなぜか残っていました。
任されていることも、これから身につけたいこともあります。けれど、さっきはすぐに答えられませんでした。
Aさんは窓の外を見ました。街の明かりが流れていきました。
それからも、日々は変わりませんでした。
朝になれば仕事へ行き、頼まれたことをこなし、新しい仕事を覚えました。後輩から相談されれば、一緒に考えました。
家に帰れば、家のことをしました。休日には、平日にできなかったことを済ませ、ときには友人と会って楽しく話しました。
何かが壊れていたわけではありません。
忙しくはなっていましたが、仕事も生活も、まだきちんと回っていました。
自分が何をすればよいのかも、たいていわかっていました。
だから、あの小さな違和感について、立ち止まって考える理由はありませんでした。
「私は、このままでいいのだろうか」と問うほどの不満もなく、「違う人生を生きたい」と思っていたわけでもありません。
ただ、ときどき、仕事が一段落した夕方や、休日にふと時間が空いたとき、誰かに将来のことを聞かれたときなどに、ほんの一瞬だけ、自分の中で何かが止まることがありました。
けれど、次にすることはいつも目の前にありました。
仕事をし、役割を果たし、頼まれたことに応え、もっとできるようになる。その生き方は、Aさんをきちんと支えていました。
だから、それとは違う何かを探す理由もありませんでした。
ただ、ときどき、あの言葉だけがふっと戻ってきました。
――何がしたいの?
けれど、そのたびにAさんは、また目の前の日常へ戻っていきました。
第3章 身体が、ついてこなくなった
朝、目を覚ましたとき、身体がひどく重く感じました。
喉にも違和感があり、頭がぼんやりしています。熱を測ると、少し上がっていました。
「風邪かな」
このところ忙しかったから、疲れが出たのかもしれない。Aさんはその日、仕事を休むことにしました。一日眠れば、明日には少しよくなるだろうと思っていました。
翌朝になっても、身体の重さは残っていました。起き上がってみると、手足に力が入りにくく、立っているだけで疲れます。
もう一日休もう。二日くらいなら仕方がない。
職場に連絡を入れ、また布団に戻りました。
何日かすると、熱っぽさや喉の違和感は少しずつ治まってきました。それなのに、身体の重さだけが残っていました。
「明日は行けそう?」
家族に聞かれ、Aさんは少し考えました。
「うん。たぶん大丈夫」
いつまでも休んでいるわけにはいきません。仕事もたまっているはずでした。
翌朝、いつものように支度を始めました。
着替えをして、顔を洗い、髪を整える。そのくらいのことなのに、途中で一度椅子に座りたくなりました。
何日も寝ていたからだろう。身体がなまっているだけだと思いました。
家を出て駅へ向かいました。いつもなら何も考えずに歩いている道なのに、その日は駅がなかなか近づいてきません。
階段を上りきったところで立ち止まりました。胸がどきどきして、脚が重くなっていました。
電車が来ると、空いている席を探しました。
職場に着いたときには、もうかなり疲れていました。
「まだ顔色よくないよ」
同僚に言われました。
「ちょっと体力が落ちたみたい」
Aさんは笑って答え、自分の席に座りました。
パソコンを開くと、休んでいる間のメールが並んでいました。どれから返すかを決め、いつものように仕事を始めました。
ところが、メールの文章を読んでも、なかなか意味が頭に入ってきません。
一度読んで、もう一度読み直す。返信を書き始めても、途中で何を書こうとしていたのかわからなくなりました。
Aさんは目を閉じました。まだ治りきっていないだけだ。午前中を乗り切れば、そのうち調子も戻ってくるだろうと思いました。
けれど昼を過ぎても、身体は軽くなりませんでした。
午後になると、椅子に座っていることさえつらく感じるようになりました。それでも、途中の仕事だけは終わらせて帰ろうと思いました。
結局、職場を出たのは夕方でした。
家に帰ると、Aさんはそのままソファに横になりました。
服を着替える気力もありませんでした。手足が重く、身体の奥に力が残っていないように感じました。
「ご飯、どうする?」
「あとでいい」
声を出すのも億劫でした。
その日は早く布団に入りました。
これだけ眠れば、明日はさすがによくなるだろう。
ところが翌朝、目を覚ましたとき、身体は前の日よりも重くなっていました。
時計を見ると、かなり長く眠っていました。それなのに、眠ったという感じがしませんでした。
Aさんは布団の中でしばらく動けずにいました。
「昨日は行けたのに……」
自分でも不思議でした。仕事には行けたし、夕方まで働くこともできました。それなのに、その翌日に、どうしてこんなに動けなくなるのだろう。
その日は、また仕事を休みました。
数日すると、少し身体が軽くなりました。
Aさんはほっとしました。やっぱり休めば戻る。そう思いました。
体調のよい朝には、少したまっていた家のことをしました。洗濯物を片づけ、買い物にも出ました。
動けることがうれしくて、ついでにもう一つ、もう一つと用事を済ませました。その日は、それほど悪くありませんでした。
ところが翌朝、また身体が動かなくなりました。
起き上がろうとしても、全身が鉛のように重く感じられます。頭痛もあり、考えようとしても頭の中がまとまりませんでした。
前の日に何をしたのか、Aさんは思い返しました。洗濯をして、買い物に行って、少し片づけをした。それだけでした。
以前なら、一日の予定にも入らないくらいのことです。
「そんなことで?」
Aさんは、自分の身体に向かって問いかけるようにつぶやきました。
何日か休むと、また少し動けるようになりました。
すると、また動きました。
今度は無理をしないようにしたつもりでした。途中で休み、早めに切り上げました。
それでも、その翌日から調子を崩しました。
少しよくなると動いてみる。そのときは何とかできても、あとになって悪くなる。
Aさんには、そのつながりがまだよくわかりませんでした。
医療機関を受診しました。
血液検査を受け、いくつかの病気について調べてもらいました。
「特に大きな異常は出ていませんね」
そう言われると、安心する気持ちと、困った気持ちの両方がありました。異常がないのなら、それはよいことです。けれど、それではなぜ、こんなに動けないのでしょう。
「疲れが取れないんです」
そう医師に話しました。
「ずっと疲れている感じですか?」
「それもあるんですけど……」
うまく言葉にできませんでした。
「少し調子がいい日に動くと、その日は大丈夫なこともあるんです。でも、そのあとにすごく悪くなることがあって」
「その日のうちですか?」
「次の日のこともあります。もう少しあとからのこともあります」
医師は少し詳しく尋ねました。
どのくらい動いたのか。悪くなると何が起こるのか。どのくらい続くのか。眠ったあとに身体が楽になるか。
Aさんは一つずつ答えました。仕事へ行った翌日に起きられなくなったこと、買い物をしたあと何日か横になっていたこと、長く眠っても朝から疲れていること、文章を読んでも頭に入らないことがあること。
診察の終わりに、医師が言いました。
「今の段階では、ほかに原因がないかもう少し調べる必要があります。ただ、経過によっては、慢性疲労症候群という病気も考えることがあります」
聞いたことのない名前でした。
「疲労」という言葉が、自分の状態を表しているようでもあり、何か違うようでもありました。
「治るんでしょうか」
Aさんは尋ねました。
医師はすぐには答えませんでした。
「まずは今の状態をもう少し見ていきましょう。無理をして動いたあとに悪くなるようなら、調子のいい日に一気に取り戻そうとしないことも大切です」
Aさんはうなずきました。
けれど、その言葉をどう受け取ればよいのか、まだよくわかりませんでした。
仕事を休む日が増えていきました。
朝になってみなければ、その日の身体がどうなるのかわからないこともありました。
前の晩には「明日は行けそう」と思っていても、朝になると身体が動かない。反対に、今日は無理だと思っていたのに、午後になると少し楽になる日もありました。
自分の身体が、いつ動けて、いつ動けなくなるのか、ますますわからなくなっていました。
それでも、調子のよい日が来るたびに、今度こそこのままよくなるかもしれない、少しずつ動けば体力も戻るかもしれない、と期待しました。
そんなある日、朝から身体が軽く感じられました。久しぶりに頭もはっきりしていました。
Aさんは机に座り、仕事のメールを開きました。
何通か返しても、それほどつらくありません。
「今日は大丈夫かも」
うれしくなりました。
そのまま、気になっていた用事をいくつか片づけました。
夕方になって少し疲れましたが、以前の生活なら、このくらいは普通でした。
ところが翌日、目を覚ますと、身体はまた重く沈んでいました。
起きようとしても力が入りません。
枕元のスマートフォンに手を伸ばし、職場へ休む連絡をしようとしました。短い文章なのに、何度も書き直しました。
送信したあと、スマートフォンを置き、目を閉じました。
昨日はあんなに動けたのに、どうして。
しばらくして、もう一つの考えが浮かびました。
いつになったら、前のように戻るのだろう。
その答えは、どこにもありませんでした。
Aさんはまだ、これは身体の問題なのだと思っていました。
病気なのだから、治療して、休んで、回復すればいい。そうすれば、また朝から仕事へ行き、一日働いて家に帰り、翌朝にはまた起きられる。少しくらい疲れても、眠れば戻る。
あの身体に戻れば、すべてはまた元どおりになるはずでした。
布団の中で、Aさんは自分の手を見ていました。見た目は何も変わっていません。
それなのに、これまで当たり前に動いてくれていた身体が、もう自分の思うようにはついてきませんでした。
私は、以前の自分に戻れるのだろうか。
第4章 病気は、身体だけの問題ではなかった
「明日の打ち合わせ、どうする?」
電話の向こうで、同僚が尋ねました。
Aさんは少し迷いました。午前中は比較的身体が楽でした。けれど、午後になってから頭が重くなり、横になっていたところでした。
「行けると思うんだけど……」
そう答えながら、自分でも確信がありませんでした。
「無理しないほうがいいよ」
「うん。でも、私が説明することになってるから」
「こっちで何とかすることもできるよ」
その言葉を聞いて、Aさんはしばらく黙りました。
「じゃあ、朝の調子を見て連絡してもいい?」
「もちろん」
電話を切ったあとも、Aさんはしばらくスマートフォンを手に持ったままでした。
以前なら、予定は予定でした。多少疲れていても、朝になれば起きて仕事へ行き、急なことがあっても、その場で何とかしていました。
今は、明日のことを決めることさえ難しくなっていました。
翌朝、目を覚ました瞬間に、Aさんはわかりました。
今日は無理だ。
身体が布団に沈んでいるように重く、頭を起こすだけでもつらく感じました。
同僚に短いメッセージを送りました。
「すみません。今日は行けそうにありません」
送信してから、画面を見つめました。
返事はすぐに来ました。
「了解。こっちは大丈夫だから、休んで」
ありがたいと思いました。同時に、胸の中に小さな落ち着かなさが残りました。
自分が参加するはずだった打ち合わせが、自分のいないところで進んでいく。それは当然のことのはずでしたが、以前には考えたことのないことでした。
仕事だけではありませんでした。
家の中でも、できないことが増えていきました。
ある日、洗濯物の入ったかごを持ち上げようとして、Aさんは手を止めました。
「私がやるよ」
家族が言いました。
「大丈夫。これくらいできるから」
そう答えて持ち上げましたが、数歩歩いただけで腕が重くなりました。
その日は、朝から比較的調子がよかったのです。洗濯くらいなら問題ないと思っていました。
けれど、干し終える頃には立っているのがつらくなり、そのままソファに横になりました。
家族が残りの家事をしている音が聞こえていました。食器を片づける音、掃除機の音、買い物へ出かけるために玄関の扉が閉まる音。
横になっていれば、身体は少し楽でした。
それでも、なかなか眠れませんでした。
天井を見ながら、「洗濯をしただけなのに」と思いました。
買い物の仕方も変わりました。
以前は仕事帰りにスーパーへ寄り、必要なものを買って帰っていました。休日なら、何軒か店を回ることもありました。
今は、店の中を歩くだけでも身体の負担になりました。買うものをあらかじめ決めて、できるだけ短い時間で済ませる。重いものは家族に頼む。
それでも、そのあと横にならなければならないことがありました。
ある日、店の入口で買い物かごを取ったとき、Aさんは少し先にある棚を見ました。
それほど広い店ではありません。
けれど、その日は奥まで歩いていくことが、ずいぶん遠いことのように感じられました。
必要なものだけ買って帰ろう。そう思って、途中で見かけた商品に少し興味をひかれても、立ち止まらないようにしました。
以前なら、気にも留めなかったことでした。
買い物は、いつの間にか「楽しむこと」ではなく、「できるだけ疲れずに終えること」になっていました。
友人から連絡が来ることもありました。
「久しぶりに会わない?」
画面に表示されたメッセージを見て、Aさんはうれしくなりました。
しばらく会っていない友人でした。「会いたい」とすぐに思いました。
ところが、そのあと手が止まりました。
いつなら会えるのだろう。調子のよい日はあっても、その日が前もってわかるわけではありません。約束をして当日になって断ることになるかもしれないし、会えたとしても、帰ってから何日も寝込むかもしれません。
何度か文章を書き直しました。
「もう少し体調が落ち着いたら、こちらから連絡するね」
最後はそう送りました。
友人からは、
「わかった。いつでも大丈夫だからね」
と返ってきました。
やさしい言葉でした。
それなのに、Aさんは少し寂しくなりました。
会いたい人に会うことまで、身体の調子に相談しなければならない。
そんな生活になるとは思っていませんでした。
誘いを断ることが増えていきました。
最初の頃は、「体調がよくなったら行こう」と思っていました。友人との食事も、家族との外出も、少し先に延ばしているだけだと思っていました。
けれど、延ばした予定の先にも、また体調の波がありました。「今度こそ」と決めた日に限って、朝から動けないこともありました。
何度か断っているうちに、誘われる回数も少しずつ減っていきました。
それは誰かが悪いわけではありませんでした。友人たちにも、それぞれの生活があります。
Aさん自身も、約束してまた迷惑をかけるくらいなら、誘われないほうが気が楽だと思うことさえありました。
それでも、スマートフォンの中で友人たちが出かけた写真を見ると、ときどき胸の奥がざわつきました。
そこに自分がいないことが、以前よりはっきりと見えました。
職場とのやりとりも変わっていきました。
はじめの頃は、
「来週には戻れると思います」
「もう少し休めば大丈夫です」
と伝えていました。
けれど、その「もう少し」が何度も延びていきました。
少しよくなって出勤しても、続けて働くことができません。数時間働いただけで症状が悪くなることもありました。
「今週はどう?」
上司に聞かれるたび、Aさんは答えに困るようになりました。
「今日は少しいいんですけど……」
その先が続きませんでした。今日がよいからといって、明日もよいとは限らないからです。
「じゃあ、しばらく様子を見ようか」
そう言われることが増えました。
「すみません」
Aさんはそう答えました。
電話を切ると、決まって胸のあたりが重くなりました。
身体が重いのとは、少し違う重さでした。
ある日の午後、Aさんはリビングの窓から外を見ていました。
近所の人が買い物袋を持って歩き、犬を散歩させている人もいました。少し先では、仕事帰りらしい人が自転車で通り過ぎました。
どれも、以前なら何も感じなかった光景でした。
Aさんにも、ああいう毎日がありました。
朝になれば仕事へ行き、帰りに買い物をする。休日には出かけ、友人と会い、家のことをし、明日の予定を立てる。
どれも、身体のことなどほとんど考えずにできていました。
今は、一つ何かをするたびに考えなければなりません。
これをしたら、あとで悪くならないだろうか。明日のために、今日はやめておいたほうがいいだろうか。出かけるなら、その前後に何も予定を入れないほうがいい。
そんなふうに、一日の中で使えるものが限られているように感じました。
それでもAさんは、まだ病気を身体の問題として考えようとしていました。
身体がよくなれば仕事へ戻れ、家のこともでき、友人にも会える。だから、まずは治すことだと思っていました。
けれど、病気になってから変わってしまったものを一つずつ眺めていると、どこまでが「身体の問題」なのかわからなくなることがありました。
病気があるのは身体です。それでも、その身体と一緒に生きている毎日は、以前とはずいぶん違うものになっていました。
ある夜、家族が翌月の予定を話していました。
「この日、みんなで出かけようと思うんだけど、どう?」
以前なら、手帳を見れば答えられました。仕事があるか、ほかの用事があるか。予定が空いていれば、「行ける」と言えました。
Aさんはカレンダーを見ました。
その日は、何も書かれていませんでした。
それでも、行けるかどうかわかりませんでした。
「その日になってみないと、わからないかな」
そう言いました。
言ってから、自分の言葉が妙に心に残りました。
予定がないのに予定を立てられない。時間はあるのに、自由に使えるとは限らない。
Aさんはカレンダーを閉じました。
病気になって失ったのは、体力だけだと思っていました。けれど、それだけではないのかもしれません。
仕事も、家での暮らしも、人とのつながりも、これからの予定さえも、身体の変化に引っぱられるようにして少しずつ形を変えていました。
閉じたカレンダーを前に、Aさんはしばらくそのまま座っていました。
第5章 役に立てない私は、何者なのだろう
その後も検査や経過観察が続き、Aさんは慢性疲労症候群と診断されました。
「しばらく、仕事を休んだほうがいいと思います」
医師はそう言って、Aさんの顔を見ました。
Aさんは膝の上に置いた手を見つめました。体調が悪いことは、自分でもわかっていました。出勤しても途中で帰る。少し無理をすると、翌日から何日も動けなくなる。そんなことを繰り返していました。
それでも、「しばらく休む」という言葉を聞くと、胸の奥がざわつきました。
「どのくらいですか」
「今は、はっきり言えません。まずは仕事から離れて、身体を休ませましょう」
Aさんは小さくうなずきました。
診察室を出ると、廊下にはいつものように人が行き交っていました。会計を待つ人、診察室へ呼ばれる人、受付で何かを尋ねている人。その中を歩きながら、Aさんはさっきの「仕事から離れる」という言葉を何度も思い返していました。
その言葉だけが、妙に重く残りました。
家に帰ると、Aさんは職場へ電話をしました。
上司は事情を聞くと、すぐに答えました。
「わかった。今は休んだほうがいいよ」
「すみません」
「仕事のことは心配しなくていいから」
「でも、途中になっているものがいくつかあって……」
Aさんは、頭の中にある仕事を一つずつ挙げようとしました。
「あれはこっちで引き継ぐよ。必要なことがあったら連絡するから」
「そうですか」
「ちゃんと休んで」
「はい。ご迷惑をおかけします」
電話を切ってからも、Aさんはしばらく椅子に座ったままでした。
机の上には手帳がありました。翌日の欄には会議の予定が書いてあり、その下には確認しなければならない案件の名前もあります。
ペンを取り、会議、打ち合わせ、締め切りと、予定の上に一本ずつ線を引きました。
一本線を引くたびに、明日の形が消えていきました。
最後の予定を消すと、手帳のその日は、ほとんど空白になりました。
翌朝、Aさんはいつもの時間に目を覚ましました。
カーテンの隙間から、朝の光が入っていました。
時計を見て、ふと思いました。今ごろなら、もう支度を始めている時間です。
少しすると、家族が出かける準備を始めました。洗面所の音がして、玄関で靴を履く気配がしました。
「じゃあ、行ってくるね」
「うん。行ってらっしゃい」
「お昼、冷蔵庫にあるから」
「ありがとう」
玄関の扉が閉まりました。
家の中が静かになりました。
Aさんはソファに横になりました。
身体は楽でした。仕事へ行かなくてよいと思うと、どこかほっとしている自分もいました。これで身体を休ませられるとも思いました。
けれど、しばらくすると落ち着かなくなりました。
いつもなら、もう電車に乗っている頃です。職場に着けば、パソコンを開いてメールを確認する。今日の予定を見て、何から始めるか決める。誰かが「ちょっといいですか」と声をかけてくるかもしれない。
横になったまま時計を見ました。
まだ九時を過ぎたばかりでした。
一日が、ひどく長く見えました。
十時頃、スマートフォンが鳴りました。
職場からでした。
Aさんは身体を起こしました。
「もしもし」
後輩の声でした。
「すみません。少しだけ確認したいことがあって」
「うん。何?」
ある資料の置き場所を尋ねられました。
Aさんはすぐに答えました。
「共有フォルダの中にあると思う。去年の案件のところ」
「あ、ありました」
「それと、その資料だけだとわかりにくいから、前の議事録も見たほうがいいよ」
「わかりました。ありがとうございます」
「またわからなかったら聞いて」
電話を切ると、少し気持ちが軽くなりました。まだ自分にできることがあったような気がしました。
ソファに戻りながら、久しぶりに少しだけ仕事をしたような気分になりました。
ただ、ほんの数分話しただけなのに、身体には疲れが出ていました。それでも、不思議と嫌な疲れではありませんでした。
昼になりました。
冷蔵庫を開けると、家族が用意してくれた食事が入っていました。
温めて、テーブルに置きました。
食べ終わると、皿を流しへ運びました。
洗っておこう。
そう思って蛇口をひねりました。
皿は数枚しかありません。これくらいならできると思い、一枚洗って次の皿を手に取りました。
ところが、そのとき腕が重くなりました。
Aさんは手を止めました。
少し迷ってから、残った皿をそのままにして、またソファへ戻りました。
流しに残した皿が、部屋の向こうから見えました。たった二枚でした。
あと二枚くらいなら、と思いました。それでも、立ち上がりませんでした。
あとで家族が帰ってきたら、きっと洗ってくれるでしょう。
そのことが、ありがたくもあり、嫌でもありました。
午後は、ほとんど横になって過ごしました。
眠ったり、目を覚ましたりしました。スマートフォンを手に取っては、また置きました。
職場からは、その後連絡がありませんでした。
本当なら、それでよいはずでした。自分が休んでも仕事が進むように、引き継いでもらったのです。
それなのに、何度か通知のない画面を確認してしまいました。
三時を過ぎた頃、今ごろあの会議は終わっただろうか、誰が説明したのだろう、うまくいっただろうかと気になりました。
後輩に連絡しようかと思いました。
けれど、やめました。
休んでいるのだから、任せなければいけない。
Aさんはスマートフォンを伏せました。
部屋がまた静かになりました。
夕方、家族が帰ってきました。
「どうだった?」
「今日はずっと寝てた」
「それでいいんだよ」
家族は上着を脱ぐと、そのまま台所へ行きました。
「あ、ごめん。お皿、そのままになってる」
「いいよ」
「洗おうと思ったんだけど」
「だから、いいって」
家族は何でもないことのように皿を洗い始めました。
Aさんはソファからその背中を見ていました。
仕事を終えて帰ってきた人が、これから夕食を作る。昼間ずっと家にいた自分は、それを見ている。
「何か手伝おうか」
Aさんは言いました。
「座ってて」
「でも」
「今日、休むのが仕事なんでしょう?」
家族は振り向いて笑いました。
「わかってるよ」
思っていたより強い声が出て、家族の表情が少し止まりました。Aさん自身も、その声に驚きました。休んだほうがいいことは、自分がいちばんよくわかっています。家族が悪いわけでもありません。
少しして、Aさんは言いました。
「ごめん。あなたに怒ってるんじゃないんだ」
「うん」
「自分でできないのが、嫌なんだと思う」
家族は何も言わず、また台所へ向きました。
包丁の音が始まりました。
Aさんは膝の上に両手を置きました。
今日、この手で何をしただろう。職場からの電話に答え、皿を一枚洗った。それくらいでした。
夕食のあとも、家族が片づけをしてくれました。
Aさんは何度か「ごめんね」と言いました。そのたびに、「いいから」と返されました。
ありがたいと思いました。それなのに、謝らずにはいられませんでした。
寝室へ行く前、Aさんはリビングの明かりを消そうとしました。
「私がやるよ」
家族が立ち上がりました。
「これくらいはできるから」
そう言ってスイッチを押しました。ぱちん、と部屋が暗くなりました。
たったそれだけのことなのに、なぜか少しほっとしました。
休職してから、そんな日が続きました。
最初のうちは、職場からときどき連絡がありました。
「あの資料はどこですか」
「この場合、どうしていましたか」
そのたびにAさんは身体を起こし、できるだけ丁寧に答えました。
けれど、少しずつ連絡は減っていきました。
ある日、久しぶりに後輩からメッセージが届きました。
「この前の案件、無事に終わりました。前に教えてもらったやり方で何とかできました」
Aさんは画面を見て、自然に笑いました。
「すごいね。お疲れさま」
そう返信しました。
少しして、
「ありがとうございます。でも、もうだいぶ一人でできるようになりました」
と返ってきました。
その文章をしばらく見つめました。
以前なら、心からうれしかったはずです。後輩ができるようになることを、いつも喜んできました。今もうれしい。それは嘘ではありませんでした。
ただ、そのうれしさの下に、別の感情がありました。
何度か文章を読み返し、スマートフォンをテーブルに置きました。
私がいなくても、大丈夫なんだ。
それはよいことのはずでした。そうなるように教えてきたのです。それなのに、胸の奥が少し痛みました。
その夜、なかなか眠れませんでした。
隣の部屋では、家族が翌日の準備をしていました。
Aさんは布団の中で天井を見ていました。
仕事へ行っていた頃は、忙しいと思うこともありました。それでも、頼られることには手応えがあり、仕事が増えても、その分だけ自分が応えればよいと思っていました。家に帰れば家のこともありましたが、それも含めて自分の毎日だと思っていました。
それが今は、誰かに頼ることばかりになっています。職場では自分がいなくても仕事が進み、家でも自分が何もしなくても一日は終わっていきます。
それが必要なことは、自分でもわかっていました。身体を休め、周りに任せなければいけません。
それでも、心のどこかで何かが沈んでいきました。
ふと、声に出しました。
「私、何の役にも立ってないな」
自分で言った言葉が、暗い部屋の中に残りました。
しばらくすると、もう一つの言葉が浮かびました。それは、口にするのが少し怖い問いでした。
役に立てない私は、それでも私なのだろうか。
第6章 元に戻ることだけを考えていた
「少しずつ、よくなってきている気がします」
診察室で、Aさんはそう言いました。
前の週より、起きていられる時間が少し長くなっていました。朝からずっと横になっている日も減っていました。
医師は、最近の生活についていくつか尋ねました。
「動いたあとに、悪くなることはありますか」
「あります。でも、前よりはいいと思います」
少し明るい声で答えました。よくなっていると思うと、自分でも少し安心しました。
このまま回復していけば、また仕事に戻れるかもしれません。
診察が終わって病院を出ると、外はよく晴れていました。久しぶりに、駅まで歩いてみようと思いました。
ゆっくりなら大丈夫。無理をしなければいい。
歩きながら、職場へ戻る日のことを考えました。最初は短い時間から始め、慣れてきたら少しずつ増やしていく。以前と同じように働けるようになるまで時間はかかるかもしれません。
それでも、戻れればいい。
そう思うと、足取りが少し軽くなりました。
家に帰ると、Aさんは手帳を開きました。
休職する前のページには、仕事の予定がびっしり書かれています。
会議。
打ち合わせ。
締め切り。
家族の予定。
休日の約束。
今のページは、ほとんど空白でした。
少し先の日付を指でなぞりました。
この頃には、もう少しよくなっているかもしれない。さらに数週間先なら、職場に戻れるかもしれない。
まだ決まってもいない日なのに、そのあたりから予定が再び始まるような気がしました。それまでは、身体を戻す時間なのだと考えることで、今の空白を受け入れようとしていました。
Aさんは、自分なりにできることを探しました。
睡眠の時間を整えました。食事にも気をつけました。調子の悪い日はしっかり休み、少しよい日はできる範囲で身体を動かしました。
その日の体調を手帳につけるようにもなりました。
「昨日よりいい」「今日は少し悪い」と短い言葉を書きながら、回復の兆しを探しました。
三日続けて調子がよければうれしくなり、四日目に悪くなると、前の日に何をしたのかを考えました。
少し歩きすぎたのかもしれない。家事をしすぎたのかもしれない。今度はもう少し慎重にしよう。
そうやって、一つずつ試しました。
ある朝、目を覚ますと身体が軽く感じられました。
頭もよく働きました。
久しぶりにパソコンを開きました。
職場から送られてきた連絡を読むだけのつもりでした。
ところが、いくつか見ているうちに、気になることが出てきました。
この資料は、少し直したほうがいい。
この順番なら、もっとわかりやすくなる。
考え始めると、以前の感覚が戻ってきました。
椅子に座り直し、資料を少し整えました。
二十分だけ。
そう思って始めたのに、時計を見ると一時間近くたっていました。
「こんなにできた」
うれしくなりました。頭が動き、考えられ、仕事ができる。久しぶりに、自分が戻ってきたような気がしました。
その日は気分もよく、夕方には家のことも少ししました。
家族から、
「今日は大丈夫なの?」
と聞かれました。
「うん。かなりいいみたい」
笑って答えました。
その夜は、久しぶりに「もう少しかもしれない」と先のことを考えながら眠りました。
翌朝、身体が重くなっていました。
前日の疲れだろうと思いました。今日は休めばいい。
ところが、次の日も戻りませんでした。
頭痛があり、身体を起こしているだけでつらくなりました。三日目には、パソコンを見ることさえ億劫になりました。
布団の中で、何が悪かったのだろうと考えました。一時間くらい仕事をして、少し家のことをしただけです。あれだけ調子がよかったのに、また振り出しに戻ったように感じました。
数日前には、職場へ戻る日さえ想像していました。
今は、起き上がることにも苦労しています。
目を閉じると、悔しさがこみ上げました。
それでも、何日かたつと少し回復しました。
手帳を開き、悪くなる前の日を見返しました。
仕事を一時間。
少し家事。
それだけ。
次は半分にしよう。仕事は三十分。家のことはしない。一度に二つしない。
そう小さく書き込みました。やり方を変えればうまくいくと思いました。
これまでだって、うまくいかないことがあれば方法を変えてきました。一度でできなければ、もう一度やればいい。今度は慎重にやればいい。
それがAさんには自然なことでした。
しばらくして、職場の上司から電話がありました。
「体調、どう?」
「少しずつよくなっています」
Aさんはそう答えました。
「そうか」
「まだ波はあるんですけど、前より起きていられるようになってきました」
話しながら、少し緊張していました。
聞きたいことがありました。
「もし戻るとしたら、最初は短い時間からでも大丈夫でしょうか」
電話の向こうで、少し間がありました。
「もちろん。体調が整ったら、そういう形も考えよう」
「よかった」
思わず声が明るくなりました。
「でも、焦らなくていいからね」
「はい」
電話を切ると、すぐに手帳を開きました。
まだ何も決まっていない未来の日付の横に、「復職」と小さく書きました。
見ているだけで胸が少し温かくなりました。そこに向かって進めばいい。
また目標ができたように思えました。
体調のよい日は、少しずつ仕事に近いことを試しました。
朝、決まった時間に起き、着替え、机に座る。文章を読み、短い時間だけパソコンを使う。
できた日は、手帳に丸をつけました。
一週間に丸が増えると、うれしくなりました。
「もう少しでいけるかな」
家族にそう言うこともありました。
「焦らないほうがいいんじゃない?」
「わかってる。でも、ずっと休んでるわけにもいかないから」
「会社は待ってくれてるんでしょう?」
「そうだけど」
それ以上は言いませんでした。
待ってくれているからこそ、早く戻りたいと思いました。
何より、仕事に戻れば、今の自分も変わるような気がしました。
朝起きれば行く場所があり、することがあり、誰かに必要とされる。一日がまた以前のような形を取り戻す。
そのことを何度も思い描きました。
やがて、短時間なら職場へ行けそうな日がありました。
復職ではなく、上司と話をするためでした。
朝から身支度をしました。
鏡の前で髪を整え、久しぶりに仕事へ行くときの服を着ました。
それだけで少し疲れましたが、気にしませんでした。
駅へ向かい、電車に乗りました。
見慣れた景色が窓の外を流れていきました。
胸が高鳴りました。
職場の建物が見えたとき、懐かしさがこみ上げました。
入口を通ると、何人かが声をかけてくれました。
「久しぶり」
「大丈夫?」
「顔見られてよかった」
Aさんは笑いました。
「まだ完全じゃないんですけど」
自分の席の近くまで行くと、以前と少し配置が変わっていました。机の上にあったものも整理されていました。
後輩が仕事をしていました。
「あ、Aさん」
後輩は立ち上がりました。
「元気そうですね」
「今日はね」
二人で笑いました。
仕事の話を少ししました。以前ならごく普通だった会話が、うれしくてたまりませんでした。
ここに戻りたい。
Aさんは強く思いました。
滞在したのは、それほど長い時間ではありませんでした。
それでも帰宅した頃には、身体はかなり疲れていました。
Aさんはそのまま横になりました。
「やっぱり疲れた?」
家族に聞かれました。
「でも、行けたから」
そう答えました。
疲れていても、気持ちは満たされていました。
職場へ行けた。人と話せた。以前の自分に少し近づいた。
その日は、そう思って眠りました。
翌朝、身体が動きませんでした。
強いだるさがあり、頭も重く、布団から起き上がれませんでした。さらにその翌日も同じでした。
枕元の時計を見ていました。
たった数時間、職場へ行って人と話しただけなのに、どうして。
目の奥が熱くなりました。身体のつらさだけではありません。せっかく近づいたと思った場所が、また遠くなっていくようでした。
それでも、Aさんは諦めませんでした。
今度はもっと短くすればいい。もう少し回復してから試せばいい。体調を整えてからなら、きっとうまくいく。
悪くなるたびに、方法を変えました。
休む時間を増やしました。動く時間を減らしました。診察を受け、できることを試しました。
そして、少し調子がよくなると、また同じ場所を目指しました。
仕事へ戻り、家のことを自分でし、誰かに頼らずに動く。前のような一日を取り戻す。
そこに戻れさえすれば、今の苦しさは終わるように思えました。
今は、元の生活へ戻る途中なのだ。そう思うことで毎日を過ごしていました。
朝起きて体調を確かめるのも、休むのも、少し動いてみるのも、すべては一つの場所へ戻るためでした。病気になる前の自分へ戻るためです。
少しずつ近づいているように感じる日もあれば、ひどく遠ざかったように思う日もありました。
それでも、その先に以前と同じ生活が待っていると信じようとしていました。
そうでなければ困る、とも思っていました。
ある夜、また体調を崩して横になりながら、天井を見ていました。
手帳には、何度も書き直した「復職」の文字が残っています。
今度こそ、もう少ししたら。そう思い続けてきました。
けれど、その夜だけは、これまで考えないようにしていたことが、ふと心に浮かびました。
もし、元に戻れなかったら、私の人生はどうなるのだろう。
その先を考えないように、目を閉じました。
第7章 私は、何を待っているのだろう
窓の外の木に、若い葉が増えていました。
Aさんはソファに横になったまま、それを眺めていました。
少し前まで、枝はほとんど裸だったはずです。いつの間にか淡い緑が広がり、風が吹くたびに葉が揺れていました。
春になったんだ、と思いました。
休職した頃には、まだ厚い上着を着ていました。その頃は、暖かくなる頃には、もう少しよくなっているだろうと思っていました。
春になれば、もう少し体力が戻り、そうしたら仕事にも戻れる。そう考えていました。
けれど、春は来たのに、まだ同じ部屋にいました。
体調がまったく変わらないわけではありませんでした。朝から起きていられる日もあれば、近所まで少し出かけられる日もありました。
そんな日は、このままよくなるかもしれないと思いました。
けれど、少し動く日が続くと、また身体が重くなり、何日かほとんど横になって過ごすこともありました。
よくなっているように見えて、また悪くなる。少し戻って、また止まる。
その繰り返しでした。
以前は、体調のよい日があると、その先まで見える気がしました。今は、よい日が来ても、あまり先のことを考えなくなっていました。
喜んだあとに落ち込むことにも、少し疲れていました。
ある日、職場の後輩から写真が送られてきました。
以前、自分も関わっていた仕事が無事に一区切りついたという報告でした。写真には、何人かの懐かしい顔が写っていました。
後輩は笑っていました。
「無事終わりました。Aさんにも見てもらいたくて」
しばらく写真を見ていました。
「おめでとう。よく頑張ったね」
そう返信しました。
心からそう思いました。自分が教えた後輩が、一人で仕事を任され、仲間と一緒にやり遂げている。そのことは本当にうれしかったのです。
けれど、スマートフォンを置いたあと、胸の奥に別の気持ちが残りました。
私も、そこにいたかった。
後輩の成功が羨ましいというのとは、少し違いました。写真の中では、自分が離れているあいだにも時間が流れ、仕事が進み、人が育っていました。その時間の中に、もう自分はいない。
そのことが、急に寂しく感じられました。
もう一度スマートフォンを手に取り、自分が送った「おめでとう。よく頑張ったね」という文字を見ました。
その言葉も本当でしたし、私もそこにいたかったという気持ちも、本当でした。
自分が休んでいるあいだにも、職場では新しい仕事が始まり、終わり、また次の仕事が始まっています。後輩はその中で経験を重ね、少しずつ先へ進んでいました。
しばらくして、スマートフォンを伏せました。
自分が最後にあの場所へ毎日通っていたのは、いつだっただろう。
すぐには思い出せませんでした。
暑くなってくると、家族が夏の予定を話し始めました。
「今年はどうする?」
食事をしながら、そんな話になりました。
少し遠くへ出かける案も出ました。以前なら、休みの日を確認して、自分から予定を組んでいたかもしれません。
今は、話を聞きながら身体のことを考えました。
移動はどのくらいあるのだろう。途中で休めるだろうか。行ったあと、何日くらい動けなくなるだろう。
「Aさんはどうしたい?」
聞かれて、少し考えました。
「今回はやめておこうかな」
「そう?」
「うん。もう少し体調がよくなったら、そのときに行く」
家族はうなずきました。
「じゃあ、また今度だね」
また今度。
その言葉を、何度も使うようになっていました。
友人との食事も、少し遠くへの外出も、また今度。やってみたかったことも、もう少し元気になってから。
今は治すことが先だから。それは、とても自然な考えに思えました。
医師の診察でも、何度も同じことを尋ねました。
「もう少しよくなったら、仕事に戻れますか」
医師は体調の経過を聞きながら答えました。
「焦らずに見ていきましょう」
「どのくらいかかるんでしょう」
「人によって経過が違いますから、いつまでとは言いにくいですね」
何度聞いても、はっきりした日付は出てきませんでした。
次の診察まで、また様子を見る。その間に少しでもよくなればいい。
そう思って帰りました。
診察が終わると、受付で次回の予約を取りました。一か月後の日付が印刷された紙を受け取り、その数字を見ました。
また一か月。
一か月という時間は、仕事をしていた頃にはすぐに過ぎていました。会議があり、締め切りがあり、週末が来て、また月曜日が来る。予定を追いかけているうちに、ひと月は終わっていました。
今は違いました。
次の診察までの一か月が、長く感じられました。
夏が終わる頃、友人から久しぶりに電話がありました。
「元気?」
「ぼちぼちかな」
「体調、少しはよくなった?」
「うん。少しずつね」
いつものように答えました。
話しているうちに、友人が仕事を変えたことを知りました。
「前から考えてたんだけど、思い切ってね」
「そうなんだ」
「まだ慣れないけど、やってみてよかったと思ってる」
声が弾んでいました。
大変だったことや迷ったこと、新しい職場で出会った人のことを詳しく聞きました。
「すごいね」
電話を切る頃には、本当にそう思っていました。
同時に、妙な感じが残りました。
友人は迷いながらも何かを決め、新しい場所へ動いていました。後輩も仕事を覚え、新しい役割を担っていました。家族もそれぞれの日々を過ごしていました。
何かが始まり、何かが終わり、また次のことが始まっていく。そんな時間の流れを思いながら、手帳を開きました。
診察の予定。家族の用事。
その間には、白いところがたくさんありました。
少し前のページをめくると、その前もよく似ていました。さらに前のページには、「復職?」と小さく書いた文字がありました。
その文字をしばらく見ていました。そのときは、本当にその頃には戻っていると思っていたのです。
秋になりました。
窓を開けると、少し冷たい風が入るようになりました。
春に緑色だった葉は、ところどころ色を変え始めていました。
季節の変化を以前よりよく見るようになっていました。外へ出ることが少なくなったからかもしれません。
同じ窓から、春を見ました。
夏を見ました。
そして今、秋を見ています。
そのあいだ、自分は何をしていたのだろう。
治そうとして、休み、少し動いてはまた悪くなっていました。よくなれば仕事へ戻り、体調が整えば友人に会い、元気になればやりたいことをしようと思っていました。
間違ったことをしていたとは思いませんでした。病気なのだから、回復を待つのは当然です。
今でも治りたいし、仕事に戻れるなら戻りたい。以前できていたことが、またできるようになってほしい。その気持ちは変わっていませんでした。
けれど、窓の外を見ながら、初めて別のことを考えました。
春もそう思い、夏もそう思っていました。秋になった今も、同じことを思っています。
では、次の春はどうなのだろう。そのときも私は、「もう少しよくなったら」と言っているのだろうか。
その日の夕方、家族が帰ってきました。
「今日どうだった?」
「まあまあかな」
いつもの答えでした。
「何してた?」
聞かれて、少し考えました。
「特に何も」
そう答えてから、その言葉が妙に心に残りました。
今日だけではありませんでした。
もちろん、実際には何もしていないわけではありません。食事をし、身体を休め、少し本を読み、家のことをできる範囲でしました。
それでも、自分の中では、どこか仮の時間のように感じていました。
自分の生活はまだ仮のもので、元気になったらまた始まる。仕事に戻り、以前のように動けるようになったら、また人生が動き出す。
ずっと、そんなふうに思っていました。
夜、布団に入ってからも、そのことが頭から離れませんでした。
治るのを待っている。元に戻るのを待っている。では、その日が来るまで、自分はここで何をしているのだろう。
暗い天井を見ながら、長いあいだ目を閉じませんでした。
これまでは、いつ元に戻れるのかばかり考えていました。
けれど、その夜初めて、元に戻ることとは違う可能性が心に浮かびました。
元に戻ること以外に、人生をもう一度始める方法はあるのだろうか。
第8章 私は、これからどう生きたいのだろう
「最近、どうですか」
診察室でそう聞かれ、Aさんは少し考えました。
「大きくは変わらないです」
調子のよい日もあれば、ほとんど横になって過ごす日もあります。少し動けるようになったと思っても、そのあとでまた悪くなることがありました。
医師はうなずきながら話を聞いていました。
「前よりできるようになったことはありますか」
「少しならパソコンを見られる日もあります。近所まで出られることもあります」
「仕事のことは?」
一度、視線を落としました。
「戻りたいです」
それは、考えるまでもない答えでした。
「やっぱり、仕事に戻りたいです。短い時間からでもいいので」
医師はしばらく黙っていました。
「仕事に戻れないことが、一番つらいですか」
Aさんはすぐに「はい」と言おうとしました。
けれど、声が出ませんでした。
一番つらいこと、と改めて聞かれると、何かが引っかかりました。
「……仕事だけじゃないかもしれません」
自分で言ってから、少し驚きました。
医師は何も言わず、続きを待っていました。
Aさんは膝の上で両手を組みました。
何がつらいのだろう。
身体がつらい。思うように動けず、予定も立てられない。仕事へ行けず、家のことは家族に頼り、友人との約束も減っていました。
どれも、ずっと苦しかったことでした。
けれど、一つずつ思い浮かべているうちに、別のものが胸の奥から上がってきました。
「何もしていない自分が……嫌なんです」
声にすると、少し喉が詰まりました。
「何もしていない?」
「仕事もしていないし、家のことも前みたいにできないし。人にやってもらってばかりで」
一度、言葉を止めました。
「前は、自分がやる側だったんです」
医師は静かにうなずきました。
「困っている人がいたら手伝ったり、後輩に教えたり。家でも、自分ができることは自分でやっていました。でも今は……」
窓のほうを見ました。
「何の役にも立っていない気がします」
しばらく、部屋の中が静かになりました。
その静けさの中で、自分が言った「何の役にも立っていない」という言葉が、Aさん自身の耳にも残りました。これまで何度も心の中に浮かんでいた言葉でした。
けれど、誰かの前で口にしたのは初めてでした。
「役に立てないことが、つらいんですね」
医師が言いました。
Aさんはうなずきました。
「たぶん……そうなんだと思います」
少し考えてから、付け加えました。
「人に頼っている自分を見るのも嫌です」
「嫌?」
「はい」
「どうしてでしょう」
答えようとして、黙りました。そんなことは考えたことがありませんでした。
自分のことは自分でする。頼まれれば応え、できることは人の役に立つために使う。
それは、Aさんにとって長いあいだ当たり前のことでした。
「ちゃんとしていたいんだと思います」
ようやく言いました。
「ちゃんとしている、というのは?」
医師はさらに尋ねました。
少し困りました。
「自分のことは自分でやれて、仕事もして、人の役にも立てて……」
そこまで言ったところで、言葉が止まりました。
自分が言ったことを、自分で聞き直しているような感じがしました。
それができない今の自分は、では何なのだろう。
以前、暗い部屋の中で浮かんだ問いが、また戻ってきました。役に立てない私は、それでも私なのだろうか。
医師はすぐには何も言いませんでした。
Aさんも黙っていました。
何か答えてほしい気持ちと、あまり先まで聞きたくない気持ちが一緒にありました。
やがて医師が尋ねました。
「もし身体が元に戻ったら、どうしたいですか」
その問いなら答えられました。
「仕事に戻りたいです」
すぐに言いました。
「前みたいに働けるようになって、家のことも自分でできるようになりたいです」
「それができたら?」
「そうしたら……」
少し笑いました。
「元の生活に戻れます」
言ってから、胸の中で何かが止まりました。元の生活に戻ることを、ずっと考えてきたのです。
医師は少し間を置いてから尋ねました。
「戻ったあと、Aさんはどう生きたいですか」
Aさんは顔を上げました。
「どう生きたい……?」
「はい」
質問の意味が、すぐにはつかめませんでした。
「仕事に戻る、ということではなくて?」
「それも一つだと思います。でも、できるかどうかをいったん横に置いてみるとしたら」
医師はそれ以上説明せず、静かに続けました。
「Aさんは、これから、どんなふうに生きたいですか」
何も答えられませんでした。
どんなふうに生きたいか。それは、これまで考えてきた問いとは少し違っていました。
これまでAさんが考えていたのは、何をすれば治るのか、いつ仕事に戻れるのか、どのくらいなら動いてよいのか、どうすれば悪くならずに済むのか、ということでした。
どれも大切な問いでした。今も答えがほしいと思っています。
けれど、「どう生きたいか」と聞かれると、急に何もない場所に立たされたようでした。
「わからないです」
Aさんは言いました。
「考えたことがないかもしれません」
医師はうなずきました。
「すぐに答えなくていいと思います」
それだけ言いました。
少しほっとしました。
けれど、答えなくてよいと言われても、その問いはもう耳に入ってしまっていました。
診察室を出て、待合室の椅子に座りました。
会計を待ちながら、Aさんは人の出入りをぼんやり見ていました。
杖をついて歩く人。
家族に付き添われている人。
受付で次の予約を取っている人。
いつもなら、早く帰って休みたいと思うだけでした。
その日は、さきほどの言葉ばかりが頭に残っていました。
――どんなふうに生きたいですか。
元気になりたいし、仕事にも戻りたい。人に頼らず生活できるようにもなりたい。それは間違いありません。
けれど、それは「どう生きたいか」への答えなのだろうか。
よくわかりませんでした。
自分には、ずっとやるべきことがありました。学生の頃には勉強があり、仕事を始めれば任されたことがありました。できることを増やしていけば次にすることが見つかり、家に帰れば家のことがあり、誰かに求められるものもありました。
その中で、「どう生きたいか」と立ち止まって考える必要は、あまりありませんでした。
そこまで考えると、頭が少し重くなってきました。
今日はもう帰ろう。
立ち上がり、ゆっくり出口へ向かいました。
家に帰ると、身体にはいつもの疲れが出ていました。
Aさんはソファに横になりました。
目を閉じても、診察室での会話が浮かびました。
仕事ができるかどうかをいったん横に置いて、何ができるかではなく、どんなふうに生きたいかを考える。
そんなことを考えて何になるのだろう、とも思いました。
今の自分には、できないことがたくさんあります。したいと思ったところで、身体がついてこなければできません。
それなら、できることから考えるしかないではないか、と思いました。
けれど、それで問いが消えるわけではありませんでした。
数日後、Aさんは手帳を開いていました。
以前書いた「復職」という文字が目に入りました。
その先に矢印を引いて、「復職」「勤務時間を増やす」「元の生活へ」と書いたこともありました。
しばらく、その文字を眺めました。
これまでは、それが未来だと思っていました。そこへ戻ることができれば、また自分の人生が始まる。
けれど今は、戻ることとは別の問いが残っていました。
もし元に戻れるかどうかとは別に、今ここから生きることを考えるのだとしたら、私はどう生きたいのだろう。
ペンを持ちました。
何かを書こうとしましたが、何も浮かびませんでした。
「どう生きたい……」
小さく声に出してみました。
やはりわかりません。
それでも、すぐに手帳を閉じる気にはなりませんでした。
その夜、Aさんはこれまでのことをぼんやりと思い返していました。
仕事のこと、家のこと、人に頼られてきたこと、できることを増やしてきたこと。そこには、うれしかったこともたくさんありました。
けれど、自分が本当にしたかったことは何だったのだろう。
そう考えようとすると、記憶がうまくまとまりませんでした。
仕事なら、できることはいくつも思い浮かびます。得意だったことも、任されていたこともあります。
けれど、「したかったこと」と聞かれると、急にわからなくなります。
暗い部屋の中で目を開けました。
病気になる前にも、一度似たようなことがありました。
「これから何がしたいの?」
そう聞かれ、答えられなかったことがありました。
あのときは、そのまま日常へ戻りました。仕事があり、することがあり、考えなくても困らなかったからです。
今は違いました。元の生活へ続いていると思っていた道の途中で、Aさんは立ち止まっています。
答えはまだありませんでした。ただ、これまでとは違う問いが、自分のほうへ向いていました。
何ができるかでも、何を求められているかでもなく、
私は、本当は何をしたかったのだろう。
第9章 子どもの頃、私は何をしていたのだろう
「私は、本当は何をしたかったのだろうか」
その問いを考えてみても、すぐには答えが出ませんでした。
頭に浮かぶのは、やはり仕事のことばかりでした。
考えているうちに少し疲れ、ソファに横になりました。窓の外では、風に揺れた木の葉が光っていました。
その光を見ているうちに、ふと昔の景色が浮かびました。ずいぶん小さい頃のことでした。
夏休みの午後でした。
Aさんは友だちと一緒に、近所の空き地にいました。
何をしていたのか、最初はよく思い出せませんでした。
草の匂い、熱くなった地面、どこかから聞こえてくる蝉の声。そんなものだけが、先に戻ってきました。
しばらくして、思い出しました。
みんなで何かを作っていました。
木の枝を集めて、地面に立てて、草をかぶせていました。
「秘密基地」と呼んでいたような気がします。
立派なものではありませんでした。少し風が吹けば崩れそうで、雨が降れば終わってしまうようなものでした。
それでも、そのときのAさんたちは真剣でした。
「こっちに入口を作ろう」
「そこだと狭いよ」
「じゃあ、この枝を使おう」
誰かが言えば、また別の誰かが走って枝を探しに行きます。
Aさんも夢中で動いていました。
暑いとか、疲れたとか、そんなことはほとんど覚えていません。ただ、楽しかったことだけは、はっきり残っていました。
何の役に立つのか、上手にできるのか、誰かに褒められるのか。そんなことは、一つも考えていませんでした。
作りたかったから、作っていました。
別の記憶も浮かびました。
小学校の頃、友だちと何かを調べていたことがあります。
何をきっかけに始めたのかは、もうよく覚えていません。
図鑑を開いたり、紙に書き写したり、わからないことがあると誰かに聞きに行ったりしました。
誰かにやれと言われたわけではありませんでした。宿題でもありませんでした。
途中で飽きることもあったはずです。
それでも、気になることがあると知りたくなりました。
「これ、どうなってるんだろう」
そう思うと、すぐに調べたくなりました。わかったときは、誰かに話したくなりました。
「ねえ、知ってる?」
そんなふうに友だちをつかまえて、覚えたばかりのことを話していた自分を思い出しました。
相手が「へえ」と言うと、うれしくなりました。
その感じを、今でも少し覚えていました。
記憶は、途切れ途切れに戻ってきました。
放課後、友だちと時間を忘れて遊んだこと。何かを思いつくとすぐにやってみたこと。上手にできなくても何度も試し、失敗して笑い、途中で別のことに夢中になったこと。
どれも、小さなことばかりでした。
大人になってから人に話すような、立派な思い出ではありません。
少し笑いました。
子どもの頃の自分は、ずいぶん勝手でした。その日の気分で動き、できるかどうかもよく考えず、やってみてから困ることもありました。失敗もしましたし、人に助けてもらうこともありました。
それでも、その頃のAさんは、「できること」の中から一日を選んでいたわけではありませんでした。やりたいと思ったら、まず動いていたのです。
身体を起こし、窓の外を見ました。
今の自分とは、ずいぶん違うように感じました。
今は、何かをする前に考えます。
できるだろうか、体調は大丈夫だろうか、あとで悪くならないだろうか、誰かに迷惑をかけないだろうか。
病気になってからは、そう考えることが必要になりました。
けれど、その前からも、似たようなことを考えていた気がしました。
自分にできる仕事か、ちゃんと役に立てるか、求められているか、失敗しないか。
大人になってからは、そういうことを自然に考えてきました。
それ自体が悪かったとは思いませんでした。
考えなければできないこともあります。責任を持つことも大切でした。そのおかげでできるようになったことも、たくさんあります。
でも、子どもの頃の自分を思い出していると、その前にあったものが見えてきました。
その前にあったのは、「やりたい」という、ただそれだけの気持ちでした。
もう一つ、記憶をたどってみました。
子どもの頃、自分は何をしているときが一番楽しかったのだろう。
外で遊ぶこと。本を読むこと。友だちと話すこと。何かを作ること。知らないことを調べること。
思い出すたびに、どれか一つに決められる感じはしませんでした。
「これが本当の私だった」と思うわけでもありませんでした。子どもだったのですから、興味はころころ変わりました。
昨日夢中だったことを、今日は忘れていることもありました。
それでも、一つだけ今とは違うように感じることがありました。したいことをするときに、その理由を説明しなくてよかったのです。
そのことを妙に懐かしく感じました。
数日後の診察で、医師に前回の問いについて聞かれました。
「少し考えてみましたか」
少し笑いました。
「考えたんですけど、あまり答えが出なくて」
「そうですか」
「でも、なぜか子どもの頃のことを思い出しました」
医師は続きを待ちました。
「秘密基地を作ったり、友だちと遊んだり。何か調べて、わかったことを人に話したり」
話しているうちに、表情が少し緩みました。
「楽しそうですね」
そう言われて、Aさんは笑いました。
「楽しかったと思います」
「その頃は、どうしてそれをしていたんでしょう」
少し考えました。
でも、今度の答えはそれほど難しくありませんでした。
「したかったから、だと思います」
言葉にすると、あまりに単純でした。それでも、その言葉をしばらく心の中で聞いていました。
したかったから。それだけでした。
診察の帰り、その言葉を何度も思い返しました。
したかったから、する。子どもの頃には当たり前だったことが、今はずいぶん遠く感じられました。
大人になれば、したいことだけをして生きられるわけではありません。
仕事があり、家族があり、責任があります。自分にできることを考える必要もあります。
Aさんも、その中で生きてきました。
それで大きく困っていたわけではありません。
むしろ、できることが増えていくのはうれしいことでした。人に頼られることも、誰かの役に立てることも、大切でした。
けれど、いつから「何をしたいか」より先に、「何ができるか」を考えるようになったのでしょう。
家に帰ると、昔の写真を入れた箱を出しました。
長い時間見ると疲れるので、少しだけにしようと思いました。
子どもの頃の写真が何枚かありました。友だちと並んでいる写真、何かを持って笑っている写真、どこかへ出かけたときの写真。
一枚の写真で手が止まりました。
何をしていたときの写真なのか、よく覚えていません。
けれど、その中の自分は、カメラのほうを気にすることもなく、横にいる誰かに向かって笑っていました。
それを見ながら、少し不思議な気持ちになりました。
この頃の私は、何ができたのだろう。
今より、できないことのほうがずっと多かったはずです。仕事もできず、お金を稼ぐこともできず、一人では行けない場所もたくさんありました。大人に助けてもらわなければできないことばかりでした。
それでも、写真の中の自分は、今よりずっと自由に動いているように見えました。
できないから、何もしなかったわけではありません。
できなくても、したければやってみた。わからなければ聞き、届かなければ誰かに手伝ってもらい、うまくいかなければまた別のことを始めた。
写真を箱に戻しました。
「そうだったんだ」と、小さくつぶやきました。
何か大きな答えを見つけたわけではありません。
ただ、自分がずっと忘れていた感覚を、一つ思い出したような気がしました。
できるかどうかを考えるより先に、したいと思って動いていた時代がありました。
その夜、布団の中で子どもの頃の自分を思い出しながら考えていました。
いつから私は、「したい」よりも「できる」を先に考えるようになったのだろう。
その問いを抱えたまま、目を閉じました。
第10章 私は、何をしたかったのだろう
子どもの頃のことを思い出してから、Aさんは、その後の自分のことも少しずつ振り返るようになりました。
できるようになったことではなく、何をしているときに心が動いていたのか。
子どもの頃には、知りたいことを調べ、わかったことを誰かに話すのが好きでした。
では、そのあと、自分は何をおもしろいと思ってきたのだろう。
もう少し先の時間を思い出してみました。
学生の頃、友人から勉強を教えてほしいと頼まれることがありました。
人に何かを説明することは嫌いではありませんでした。
ただ答えを言うより、「どこまでわかってる?」「ここまでは大丈夫?」と聞きながら、一緒に考えることが多かったように思います。
あるとき、ずっとわからないと言っていた友人が、ノートを見ながら急に顔を上げました。
「あ、わかった」
その表情を、Aさんは覚えていました。友人は「そういうことか」と言って、もう一度自分で最初から解き始めました。
隣でそれを見ていました。
自分が正しい答えを知っていたことより、その人の中で何かがつながったことのほうがうれしかった。
その感覚は、社会人になってからも何度もありました。
後輩に仕事を教えているときや、相談を受けているとき。何度説明してもわからなかった人が「ああ、そういうことですね」と言ったときや、自信がなさそうだった後輩が「今回は、自分でやってみます」と言ったとき。
そんな場面を思い出していると、昔の後輩たちや友人の顔がいくつも浮かんできました。
どうして、自分はあんなにうれしかったのだろう。
ある日の午後、本棚の下のほうにあるファイルを整理していました。
長く開いていないものばかりでした。会社で使った資料、研修でもらった冊子、書き込みのあるプリント。
何冊か取り出しているうちに、一冊の薄い冊子が出てきました。
表紙を見て、手を止めました。
「ああ、これ……」
会社員だった頃に受けた、コーチング研修の冊子でした。仕事に役立ちそうだと思って申し込み、何日かに分けて学んだものでした。
冊子を開くと、ところどころに自分の字で書き込みが残っていました。
ページをめくっているうちに、研修の日のことが少しずつ戻ってきました。
二人一組になって、コーチ役と相手役を交代しながら練習しました。
コーチ役になったとき、相手は仕事上の悩みを話しました。
「後輩に仕事を任せたいんですけど、なかなか任せられなくて」
話を聞きながら、仕事を細かく分けたらいい、最初は簡単なところから任せたらいい、途中で確認する時間を決めたらいい、といくつかの方法が浮かびました。
いつもの自分なら、そう答えていたかもしれません。
けれど、その練習では、答えを教えるのではなく、相手に問いかけるように言われていました。
少し考えてから尋ねました。
「どうして、任せられないと思うんですか?」
相手はしばらく考えました。
「失敗されたら困るから、ですかね」
「何が一番困りますか?」
「結局、自分でやり直すことになることかな」
そこまで言って、相手は少し黙りました。
そして、
「でも、それだといつまでたっても任せられないですよね」
と、自分で言いました。
何も言わずに待ちました。
しばらくして、相手が続けました。
「最初から全部任せようとしてたのがよくなかったのかも。少しずつならできるかな」
そのときの表情を思い出しました。誰かから正しい方法を教えられたときではなく、自分で何かに気づいたときの顔でした。
別の練習では、自分が相手役になりました。
仕事について話していると、コーチ役の人から尋ねられました。
「Aさんは、どうしたいですか?」
その質問に、少し戸惑いました。
どうするべきか、何を求められているか、どうすればうまくいくか。そういうことなら、いくらでも考えられました。
けれど、「あなたは、どうしたいですか」と聞かれると、すぐには答えられませんでした。
「どうしたい、か……」
考えてみましたが、結局そのとき何と答えたのかは、もうよく覚えていません。
ただ、その問いだけは妙に残りました。
研修が終わったあと、冊子の余白には、「すぐに答えを教えない」「相手の中にあるものを聞く」「待つ」と、自分の字で書かれていました。
その文字をしばらく眺めました。
そうだった。
この研修のあとから、後輩との話し方が少し変わったのです。
以前なら、わからないと言われれば説明していました。困っていると言われれば、解決策を考えました。
もちろん、それが必要なときもありました。
けれど、ときどき答えを言う前に、「あなたはどう思う?」「どこが一番困ってる?」「本当はどうしたい?」と聞くようになりました。
そして、相手が考えているあいだ、少し待つようになりました。
冊子を膝の上に置きました。
不思議でした。
あの頃、コーチングは仕事に役立つ方法の一つだと思っていました。
実際、役に立ちました。
後輩が自分で考えるようになり、自分で決めたことには、自分から動くことも増えました。
自分自身も、何でも自分が答えなければならないと思わなくなりました。
けれど今になって思い返すと、好きだったのは、コーチングという方法そのものではなかったのかもしれません。
友人が「あ、わかった」と言ったとき。後輩が「やってみます」と言ったとき。誰かが話しているうちに、「私、本当はこう思っていたのかもしれません」と、自分でも気づいていなかった言葉を見つけたとき。
いつも、その瞬間が好きでした。
何かを教えたからうれしかったのでも、自分が役に立ったからだけでもありません。
目の前の人が、自分の中にあったものに気づき、それまでとは少し違う顔になる。その変化を見ることが、好きだったのです。
Aさんは、これまでの場面をもう一度思い返しました。
子どもの頃に調べたこと。学生時代に友人と一緒に考えたこと。仕事で後輩が自分の答えを見つけるのを待ったこと。
そのときどきには、別々の出来事だと思っていました。
けれど、今振り返ると、どこか同じところを見ていたようにも思えました。
ノートを開きました。
少し迷ってから、「人が、自分で気づくこと」と書きました。
その下に、「わかること」「変わること」「その人が、自分で動き始めること」と書き足し、しばらく眺めてから、最後に「それを一緒に考えること」と書きました。
ペンを置くと、胸の奥に少し温かいものがありました。
「私、こういうことが好きだったんだ」と、声に出してみました。
特別な発見のようでもあり、ずっと知っていたことをようやく言葉にしただけのようでもありました。
けれど、そのページを眺めているうちに、別の気持ちも出てきました。
もし、これが自分のしたかったことだったのなら。
もっと早く気づいていたら、違う生き方ができたのだろうか。
仕事をしていた年月の中には、楽しいことばかりがあったわけではありません。やりたくない仕事も、うまくいかなかったこともありました。自分には向いていないと思いながら続けたこともあれば、誰かの期待に応えようとして、自分の気持ちを後回しにしたこともありました。
もっと自分のしたいことを大切にしていたら、もっと早くこの方向に気づいていたら。病気になる前の人生を思い返すと、そんな思いも浮かんできました。
さきほど書いた言葉を、もう一度見ました。
「人が、自分で気づくこと」
「それを一緒に考えること」
それは確かに、ずっと自分の中にあったように思えます。
けれど、それなら、そのことに気づかないまま過ごしてきた長い年月は、何だったのでしょう。
Aさんはノートを閉じず、しばらくそのページを見つめていました。
あの年月は、無駄だったのだろうか。
第11章 無駄だったと思っていた人生が、つながり始めた
「あの年月は、無駄だったのだろうか」
その問いは、そのあともAさんの中に残っていました。
自分が本当にしたかったことは、人が自分の中にあるものに気づき、自分で動き始めるのを一緒に考えることだったのかもしれない。そう思えたことは、うれしい発見でした。
けれど、その発見は、これまでの年月をどう受け取ればよいのかという別の問いも残しました。
そんなことを考えていたある日、部屋の隅に置いたままになっていた箱を開けました。
会社を休むようになってから、ほとんど触っていなかった仕事の資料が入っています。中には、古いファイルや研修の冊子、会議でもらった資料、何年も前の手帳がありました。
「こんなの、まだ取ってあったんだ」
一冊ずつ取り出しているうちに、懐かしい表紙がいくつも出てきました。
楽しかった仕事もあれば、思い出したくない仕事もありました。
その中の一冊を手に取ったとき、少し顔をしかめました。
「ああ、これ……」
ずいぶん前に担当した企画のファイルでした。
その企画は、「うまくいかなかった仕事」として記憶に残っていました。
いくつかの部署が関わり、立場によって求めるものが違いました。会議を開いても話がまとまらず、決まったと思ったことが次の会議ではまた戻ってしまいます。
当時は、何とか前へ進めなければと焦っていました。
「この形なら、みんな納得してくれると思うんですけど」
そう説明しても、「うちの部署では、それだと困ります」と返されました。
別の人からは、
「そもそも、何を一番優先するんですか」
と尋ねられました。
説明を作り直し、資料も何度も書き換えました。それでも、なかなかまとまりませんでした。
ある日の帰り道、電車の窓に映る自分の顔を見ながら、「私には、こういう仕事は向いてないのかもしれない」と思ったことを覚えています。
結局、企画は当初思っていた形では終わりませんでした。
大きな失敗と呼ぶほどではなかったのかもしれません。
けれど、もっと上手にできたはずだったという気持ちは、長く残っていました。
今、そのファイルを開くと、当時の会議資料がそのまま残っていました。
余白には、「何が一番困る?」「ここは意見が違う」「もう一度聞く」「説明の順番を変える」「急いで決めない」と、自分の字でいくつもの書き込みがあります。
次のページには、ある人の発言の横に「本当は反対ではなく、不安なのかも」とあり、別のページには「こちらの説明ばかりしている。相手の話を聞く」と書かれていました。
しばらく、その文字を見ていました。
記憶の中に残っていたのは、会議がまとまらなかったことや、自分の力不足を感じたことばかりでした。
けれど、目の前にある資料には、それだけではない時間が残っていました。
相手の話を聞こうとし、違う意見を整理し、伝わらなければ説明の仕方を変え、急いで答えを出さずにもう一度話そうとしていたこと。
「こんなことしてたんだ、私」と、小さくつぶやきました。
あの仕事がうまくいかなかったという思いは変わりませんでしたし、もっと上手にできたこともあったでしょう。
それでも、あの時間に何も残らなかったわけではない。少しずつ、そんなふうに見え始めていました。
先日見つけたコーチング研修の冊子も、もう一度取り出してみました。
ページには、「答えを急がない」「質問する」「待つ」「本人の中にある答え」と、若い頃の自分の字が残っていました。
冊子を閉じず、そのまま隣に先ほどの企画ファイルを置きました。
片方は学んでよかったと思っていた研修で、もう片方は、できれば失敗としてしまっておきたかった仕事でした。当時は、まったく別の経験だと思っていました。
けれど、研修の冊子と、うまくいかなかった企画のファイルを並べて見ていると、当時は別々だった経験が、今はどこか似て見えました。
問いかけること。話を聞くこと。すぐに答えを出さず、相手と一緒に考えること。
そのときには、どれも「自分のしたいことにつながる」などとは考えていませんでした。
仕事だったから取り組んだことも、必要だったから覚えたことも、失敗しないために身につけたこともありました。
けれど、それらは今も自分の中に残っています。
箱の中には、ほかにも新人向けの資料や手順書、後輩との面談で使ったメモが残っていました。
どれを見ても、相手に合わせて説明し、話を聞き、うまくいかなければ別の方法を考えていた自分がいました。
しばらく、資料を床に広げたまま眺めていました。
夕方近くになって、ノートを開きました。
前に書いた「人が、自分で気づくこと」「それを一緒に考えること」というページをめくり、その次のページに「これまで得たもの」と書きました。
何を書こうか少し考えてから、「聞く」「伝える」「整理する」「問いかける」「待つ」と書き、最後に「うまくいかなければ、やり直す」と加えました。
書いた言葉を上からもう一度読みました。
どれも病気になってから新しく身につけたものではなく、病気になる前の長い時間の中で、少しずつ覚えてきたものでした。
あの頃、したいことだけをして生きていたわけではありません。求められたからした仕事も、得意だから引き受けたことも、責任があるから続けたこともありました。
やりたくなかったことや、うまくいかなかったこともありました。それもまた、これまで生きてきた時間の一部でした。
ノートから顔を上げました。
病気になる前の人生が、本当にしたかったことだけでできていたとは思いません。
けれど、本当にしたかったこととは関係のない人生だったとも、もう言い切れない気がしました。その時間の中で、知らないうちに育っていたものがあったからです。
遠回りだったのかもしれませんし、もっと違う生き方があったのかもしれません。
それでも、その年月を生きた自分の中には、今も残っているものがあります。
もう一度、「これまで得たもの」と書いたページを見ました。
会社へ行けなくなっても、ここに書いたものまでなくなったわけではありませんでした。
病気になる前と同じ身体には戻っておらず、以前と同じように働くこともできません。
けれど、以前と同じ働き方でなくても、これらを使う方法はあるのかもしれない。
窓の外を見ました。
その日は、それ以上考えませんでした。
ただ、初めて、元に戻ることとは違う方向へ目が向いていました。
第12章 できないなら、できる形をつくればいい
「少人数なら、できるかもしれない」
Aさんはノートにそう書きました。
少し前のページには、「これまで得たもの」とあります。
その言葉を眺めながら、今の身体でもできる形を考えていました。
少しして、その下に「オンラインなら?」と書き足しました。
移動しなくてよく、終わったらすぐに横になれます。何人も相手にするのは無理でも、数人ならできるかもしれません。
考えているうちに、久しぶりの感覚が生まれていました。
できることを探しているだけではなく、「こんなことをしてみたい」という気持ちのほうが先にありました。
最初に声をかけたのは、昔から知っている数人でした。
「ちょっと試してみたいことがあるんだけど」
メッセージを送りました。
何かを教える会ではなく、最近困っていることや考えていることを少し話し、誰かの話を聞きながら自分のことも考えてみる。そんな小さな集まりにしたいと思いました。
当日は、久しぶりに人と話すことが楽しみで、朝から落ち着きませんでした。
参加する人が話しやすいように、いくつか質問も考えました。話が途切れたときのために、話題も用意しました。
家族が机の上を見て言いました。
「ずいぶん準備してるね」
「最初だから」
「疲れない?」
「大丈夫。家にいるし」
そう答えました。
午後になると、パソコンの画面に一人ずつ顔が現れました。
「久しぶり」
「今日はありがとう」
最初は少し緊張していましたが、話が始まるとすぐに楽しくなりました。
仕事のことを話す人がいました。家族とのことを話す人もいました。
話を聞きながら、
「一番気になっているのは、どんなところですか」
「それは、いつ頃からですか」
と尋ねました。
相手が話しているうちに、
「ああ、私、そこが嫌だったのかもしれない」
と言うことがありました。
そのたびに、うれしくなりました。
一時間ほどのつもりでしたが、時計を見たときには、もう予定の時間を過ぎていました。
「あと少しだけにしましょうか」
自分自身も、まだ終わりたくありませんでした。
結局、パソコンを閉じたのは、一時間半近くたってからでした。
身体にはかなり疲れが出ていました。それでも、久しぶりに自分から始めたことを最後までできたことが、ただうれしかったのです。
ところが翌朝、起き上がれませんでした。
身体がひどく重く、頭もぼんやりしていました。スマートフォンの画面を見るだけでもつらく、昼になってもほとんど動けませんでした。
次の日も、あまり変わりません。
布団の中で目を閉じながら、またやってしまったと思いました。少し調子がよくなると動き、あとから悪くなる。何度も繰り返してきたことでした。
あれほど楽しかったのに、やっぱり自分には無理なのだろうか。
数日たって、少し身体が戻ってきた頃でした。
相談会に参加していた一人から、メッセージが届きました。
「この前、話せてよかったです。自分が何に困っていたのか、少しわかった気がします」
その文章を何度か読みました。
やはり、あの時間が好きでした。
けれど、同じことをすれば、また寝込むかもしれません。
ノートを開きました。
「一時間半は長い」と書き、その下に「準備しすぎた」「朝から動きすぎた」「終わる時間を決めなかった」と加えました。
相談会そのものができなかったのか、それとも、あのやり方では続けられなかっただけなのか。
しばらく考えてから、「三十分」と書きました。
次の会は三十分だけにし、参加する人も少なくしました。資料も作りませんでした。
始まる前はできるだけ横になり、終わったあとは何もしないことにしました。
当日、話が少し盛り上がった頃、時計を見ると三十分が近づいていました。
「そろそろ終わりにしましょうか」
そう言うと、一人が笑いました。
「もうですか?」
「はい。今日はここまで」
「もうちょっと話したいですね」
同じ気持ちでした。
それでも、時計を見ました。
「私が元気なうちに終わる練習をしてるんです」
そう言うと、画面の向こうから笑い声が返ってきました。
会を終えたあと、すぐに横になりました。
身体には疲れがありましたが、前回とは違いました。
翌朝、少し重さは残っていました。それでも、何日も動けなくなるほどではありませんでした。
手帳を開き、その日の予定の横に小さく丸をつけました。
「三十分」と書かれたその数字を見ながら、少し笑いました。
一時間半では無理でも、三十分なら続けられるのかもしれません。
何度か小さな相談会を続けた頃、一人の参加者からメッセージが届きました。
「Aさん、ちょっとお願いがあるんですけど」
「どうしました?」
「今度、もう少し個人的に話を聞いてもらうことってできますか」
少しして、「みんなの前では、ちょっと話しにくいこともあって」と続きました。
すぐには返事をしませんでした。
相談会とは別に時間を取ることになります。できるかどうか、身体のことも考えなければなりません。
「三十分くらいなら」
そう返しました。
数日後、二人だけで画面をつなぎました。
相手は、仕事を辞めようか迷っていると話しました。
「最近ずっと考えてるんです。でも、辞めたあと何をしたいのかも、よくわからなくて」
黙って聞いていました。
「このまま続けるのも嫌なんです。でも、辞めるのも怖くて」
少しして、その人が尋ねました。
「Aさんだったら、どうしますか」
頭の中に、こう整理したらいい、まずこの選択肢を考えたらいい、といくつかの答えが浮かびました。
けれど、口を開きかけたところで止まりました。
昔、仕事の中で何度もしてきた、すぐに答えを教えず、問いかけ、待つという関わり方を思い出しました。
少し間を置きました。
「私がどうするかより、ちょっと聞いてみてもいいですか」
「はい」
「本当は、どうしたいですか」
相手は黙りました。
画面の向こうで、視線を下げています。
こちらも黙っていました。
沈黙が長くなると、別の質問をしたほうがいいのではないか、困っているなら助けたほうがいいのではないか、という気持ちも浮かびました。
けれど、そのまま待ちました。
やがて、その人が小さな声で言いました。
「本当は……仕事を辞めたいわけじゃないのかもしれません」
続きを待ちました。
「今の働き方が嫌なんだと思います。仕事そのものじゃなくて」
その人は、自分でも少し驚いたような顔をしました。
「そっか。私、辞めるか続けるかしか考えてなかったんですね」
その表情を見たとき、胸の奥に懐かしい温かさが広がりました。
学生の頃、友人が「あ、わかった」と言ったときや、仕事で後輩が自分で考えて「やってみます」と言ったときと同じでした。
自分が答えを与えたのではなく、相手の中にあったものが、その人自身の言葉になって出てきた。
その瞬間が、やはり好きでした。
話が終わる頃、その人が言いました。
「また、こうやって話してもいいですか」
「私でよければ」
Aさんは笑いました。
その夜、コーチング研修の冊子をもう一度開きました。
ページには、「答えを急がない」「質問する」「待つ」「本人の中にある答え」と、若い頃の自分の字が残っています。
今日のやりとりを思い出しました。
「私、またコーチングをしてるんだ」と口にすると、少し不思議な感じがしました。
会社でコーチングをしていた頃は、仕事の進め方や目標について一緒に考えることが多くありました。
今日話していたのは、それとは少し違いました。
どう働きたいのか、どんな暮らしをしたいのか、何を大切にしたいのか。どれも、病気になってから自分自身が何度も考えてきたことでした。
冊子を閉じました。
「これって……ライフコーチングなのかな」
少し照れくさくなって、自分で笑いました。そんな名前で何かを始めようと決めたわけでも、仕事にしようと考えたわけでもありません。
ただ、こういう時間をまた持ちたいと思いました。
その後も、小さな相談会を続けました。
三十分で終え、前後には予定を入れず、体調が悪ければ延期する。そんな形で続けました。
ときどき、「もう少し個人的に話したい」と言われることもありました。そんなときは、身体の様子を見ながら、一人ずつ話を聞きました。
予定を増やせそうな日でも、無理に入れないようにしました。
以前なら、頼まれたから、自分にできそうだから、というだけで引き受けていたかもしれません。
今は、そこに自分の身体の状態を確かめることも加わっていました。
自分一人で全部する必要もありませんでした。
日程の連絡を手伝ってくれる人が現れたとき、最初は申し訳なく思いました。
けれど、
「私も、この会があったほうがいいから手伝ってるんです」
と言われ、少しずつ頼ることを覚えました。
一人では難しいことでも、誰かとなら続けられる。それもまた、今の自分にできる形でした。
ある夜、手帳を開きました。
「少人数相談会 三十分」
その少し下に、
「個人 三十分」
と書いてあります。
その間には、何も書かれていない日が何日もありました。以前なら、空いているところを見つければ何か予定を入れたかもしれません。
今は、その空白も必要だとわかっていました。休む日があるから続けられ、何もしない時間があるから人と話す時間を持てるのです。
少し前のページをめくりました。
少し前には「これまで得たもの」と書いたページがあり、さらに前には、「人が、自分で気づくこと」「それを一緒に考えること」と書いたページもありました。
別々に書いた言葉が、少しずつ一つにつながってきたように見えました。
以前と同じ仕事には戻っておらず、病気も治っていません。できることは今も限られています。
それでも、以前の人生で育ててきたものを、今の身体に合う別の形で使い始めていました。
Aさんはペンを取り、「ライフコーチング?」と書きました。
疑問符をしばらく眺め、その下に「続けてみたい」と書きました。
終章 病気を抱えながら、私は人生を楽しんでいる
「今日は、このあたりにしましょうか」
時計を見ると、三十分がたっていました。画面には、いつもの数人の顔が並んでいます。
仕事のことを話した人もいれば、家族との関係について話した人もいました。誰かが話しているあいだ、ほかの人はうなずいたり、自分の経験を重ねたりしていました。
「もう終わりですか」
一人が笑いました。
「はい。続きはまた今度にしましょう」
Aさんも笑いました。
「私が元気なうちに終わるのが、この会のルールなんです」
画面の向こうから笑い声が返ってきました。
あの小さな相談会を始めてから、三年がたっていました。
三年のあいだに、自分の身体に合う続け方も少しずつわかってきました。
相談会は三十分ほど。始まる前と終わったあとは休み、体調が悪い日は延期します。
一対一で話を聞く時間も続いていました。
それでも、一日に何人も予定を入れることはありません。
以前なら埋めていたはずの空白を、今はそのまま残します。
したいことと身体の状態を一緒に考えることが、いつの間にか当たり前になっていました。
もちろん、三年間ずっとうまくできたわけではありません。話しすぎたり、相手を助けようとして答えを急いだりすることもありました。
それでも、「待つこと」の意味は、以前とは少し変わっていました。
「本当は、どうしたいですか」と尋ねても、すぐに答えが返ってくるとは限りません。長く黙る人もいます。
以前なら、何か言わなければと焦ったかもしれません。
けれど、自分自身も病気になってから、「私は、どう生きたいのだろう」という問いに長いあいだ答えられませんでした。
答えが出ない時間を、自分も生きてきたのです。
だから今は、相手が黙っているとき、その沈黙を急いで埋めなくてもよいと思えるようになっていました。
会が終わろうとしたとき、一人がふと思い出したように言いました。
「そういえば、前から聞こうと思ってたんですけど」
「何ですか?」
「Aさんって、いつも楽しそうですよね」
少し驚いたように笑いました。
「そうですか?」
「うん。もちろん、体調が悪い日もあると思うんですけど。なんか、話してると楽しそうだなって」
少し間を置いて、その人が尋ねました。
「どうしてなんですか?」
すぐには答えませんでした。
病気になってから過ごしてきた時間が、いくつも心に浮かびました。
「たぶん……今は、したいことをしているからかな」
「したいこと?」
「うん」
少し考えてから続けました。
「人が、自分の中にあることに気づいていくのを、一緒に考えるのが好きだったみたいなんです。昔から」
「昔からなんですか?」
「そうみたいです。自分では、ずっと気づいてなかったけど」
笑いながら続けました。
「何でもできるわけじゃないんです。できないことは、今もたくさんあります。でも、したいことを、今の自分にできる形でやってるんです」
相手はしばらくうなずいていました。
「そっか」
それだけ言って、少し笑いました。
最後の一人が画面から消えると、部屋は静かになりました。
パソコンを閉じ、ソファに横になりました。身体には、いつもの重さが出始めていました。
今日は、もうこれで終わりです。
病気は今もあります。外へ出られない日もあれば、約束を延期することもあり、もっと自由に動けたらいいのにと思う日もあります。
病気になってよかったとは、今でも思いません。
それでも、病気が治るまで人生を待っている感じは、もうありませんでした。
病気になる前に生きてきた時間も、今の自分から切り離されてはいません。その中で育ててきたものを、今は違う形で使っています。
一人ではできないこともあり、人に助けてもらうこともあります。休む時間もたくさん必要です。
それでも、以前より小さな人生を生きているとは感じていませんでした。
窓の外で、風が木の枝を揺らしていました。
明日の体調はわかりませんし、予定していたことができないかもしれません。
そのときは、その日の身体でまた考えればいい。
目を閉じました。
「私は、今の人生がけっこう好きなんです」
それが、今のAさんなりの答えでした。
では、自分自身に同じ問いを向けるとしたら、どんな言葉が浮かぶでしょう。
では、私は本当はどう生きたいのだろう。
あとがき 「病気はチャンス」とは、どういうことなのだろう
私は以前から、「病気はチャンス」という言葉を使ってきました。
けれど、この言葉はとても誤解されやすく、病気になることがよいことだと言いたいのではありません。
病気になれば、身体は苦しみます。これまで当たり前にできていたことができなくなり、仕事や家事、人との付き合いが変わることもあります。
病気になってよかった、と簡単に言えるものではありません。Aさんもそうでした。
病気になったことで仕事から離れ、家族に頼らなければならなくなり、友人との約束さえ難しくなりました。そして苦しみは身体の不調だけにとどまらず、「役に立てない私は、何者なのだろう」と問うところまで広がっていきました。
ここで大切なのは、病気と病苦はまったく同じではないということです。病気は身体に起こりますが、その病気によって生じる苦しみは、身体だけにとどまりません。
身体が大きく変われば、日々の暮らしも変わります。仕事や家庭での役割、人との関係も変わります。そして、それまでの生き方を続けられなくなったとき、「これから、どう生きればよいのだろう」という問いが生まれることがあります。
Aさんの苦しみも、そのように身体から暮らしへ、そして人生へと広がっていきました。
もちろん、だからといって身体の治療が大切でなくなるわけではありません。病気を治療し、症状を和らげ、少しでも生活しやすい身体を支えることは、医療の大切な役割です。
ただし、身体を治療することと、人生の意味を見つけることは同じではありません。
医療者が「あなたの病気には、こういう意味があります」と教えることもできません。病気の意味は、誰かから与えられるものではないからです。
Aさんも、最初から病気の意味を探していたわけではありませんでした。長いあいだ願っていたのは、病気になる前の生活へ戻ることでした。それは、とても自然な願いだったと思います。
けれど、回復を待つ時間が長くなる中で、「元に戻れるか」だけではなく、「今の自分は、これからどう生きたいのだろう」という別の問いが生まれました。
その問いから過去を振り返ると、それまで別々だった経験の中に、自分が大切にしてきたものや、今につながっているものが少しずつ見えてきました。
出来事そのものは、何も変わっていません。けれど、その出来事が人生の中で持つ意味は、少しずつ変わっていきました。
これは、過去を都合よく書き換えることとは違います。つらかったことを、「実はよかったことだった」と言い換える必要もありません。失敗は失敗のままでよく、苦しかった時間は、苦しかった時間のままでよいのです。
それでも、同じ経験が、後になって人生の中で別の意味を持ち始めることがあります。出来事は変わらなくても、出来事と出来事のつながり方が変わることで、人生の物語は変わっていく。
私は、そこに人が自分の人生をつくり直していく可能性があるように思います。
Aさんは、病気になってよかったとは思っていません。病気は今もあり、失われたものや、できないことも残っています。
それでも、病気を経験したことの意味は、Aさんの中で少しずつ変わっていきました。
ここまで来て初めて、私は「病気はチャンス」という言葉を、もう一度考えてみたいと思います。
病気そのものがチャンスなのではなく、病気になれば誰もが成長するわけでもありません。苦しみそのものに価値があるわけでもありません。
けれど、病苦の中で立ち止まり、それまでの生き方を続けられなくなったとき、「私は、これからどう生きたいのだろう」という問いが生まれることがあります。
そして、その問いを生きる中で、これまでとは違う仕方で過去を捉え直し、現在の条件の中から、新しい生き方が形づくられていくことがあります。
そのとき、人生を奪っただけに見えていた病気が、振り返れば、人生の方向が変わった一つの転機として新しい意味を持つことがあります。
私が「病気はチャンス」という言葉に込めてきたのは、おそらく、そのような可能性なのだと思います。
意味は、病気の中に最初から用意されているのでも、誰かが正しい意味を教えてくれるのでもありません。
人は、自分の人生を生きながら、出来事と出来事をつなぎ直し、その意味を少しずつつくっていきます。
だから、同じ病気を経験しても、そこから生まれる物語は一人ひとり違います。
Aさんには、Aさんの物語がありました。
そして、この物語を読み終えたあなたにも、これまで歩いてきたあなた自身の人生があります。
うまくいったこともあれば、後悔していることもあるかもしれません。できなくなったことや、失ったものがある人もいるでしょう。
それらの出来事そのものを変えることはできません。
けれど、その出来事が、これからの人生の中でどのような意味を持つのかまで、すべて決まりきっているとは限りません。
これまでの人生を捨てる必要はありません。変えられない過去も、これからの人生とのつながりの中で、別の意味を持ち始めることがあります。
病気であるかどうかにかかわらず、自分の人生をもう一度つなぎ直し、そこから新しい物語を生き始める可能性は、誰にでも開かれています。
私は今、「病気はチャンス」という言葉を、そのような可能性を表すものとして考えています。
