ホロン的調和と未病:生命の智慧から、健康と生き方を捉え直す(第4回)

個体レベルのホロン的調和 ― 自分らしさと社会適応は、両立できる

はじめに

「自分らしく生きたい」と思えば思うほど、社会の中では生きづらくなる。
一方で、社会に合わせようとすればするほど、自分がすり減っていく。

多くの人が、この二つの間で揺れ続けています。

自分らしさか、社会適応か。
自由か、責任か。

けれども、この問いの立て方そのものが、私たちを苦しめているのかもしれません。
なぜなら、生命の世界では「自分であること」と「全体の一部であること」は、本来対立していないからです。

私たちは「一人で完結した存在」ではない

私たちはつい、自分を「一人の個体」として捉えがちです。
しかし実際には、人は常に、家族、職場、地域、社会といった関係の網の目の中で生きています。

それでも、その中で「個」が消えてしまうわけではありません。
社会の一部でありながら、同時に一人の存在として生きている。

この「全体であり、同時に部分でもある存在」を表す概念が、ホロンです。

ホロンという視点に立つと、
「社会に属すること」自体が問題なのではない、ということが見えてきます。

問題は、どのような状態で属しているかなのです。

個体としての全体性とは何か ―― 自律・自由・自己一致

個体としての全体性とは、
自分勝手であることでも、わがままであることでもありません。

それは、

  • 自分の感覚が分からなくなっていない
  • 何が大切かを、内側で感じ取れている
  • 無理をしていることに、気づける

という、ごく静かな状態です。

全体性が保たれている人は、派手ではありません。
しかし、どこか自然で、無理がありません。

一方、この全体性が弱まってくると、

  • いつも疲れている
  • 休んでも回復しない
  • 何をしても満たされない

といった「なんとなくの不調」が現れ始めます。

これは、病気ではありません。
しかし、明らかに健康とも言えない。

この段階こそが、未病です。

部分としての部分性とは何か ―― 協調・役割・人倫

社会の中で生きる以上、私たちは必ず何らかの役割を引き受けています。

  • 親として
  • 医療者として
  • 教育者として
  • 組織の一員として

この「部分としての働き」を、ここでは部分性と呼びます。

部分性というと、
「自分を抑えること」「我慢すること」と感じる人も多いかもしれません。

しかし本来、部分性とは服従ではありません。
それは、関係を壊さずに生きるための機能です。

大切なのは、
役割を「自分そのもの」と同一化しないこと。

役割は、着るもののようなものです。
必要なときに着て、役目を終えたら下ろすことができる。

この距離感が失われると、未病が始まります。

未病は「全体性と部分性のズレ」から始まる

個体レベルの未病は、多くの場合、
全体性と部分性のバランスが崩れたところから始まります。

たとえば、

  • 社会に適応しすぎて、自分の感覚を押し殺している状態
    → 過剰適応、バーンアウト、抑うつ、慢性疲労
  • 自分らしさを守ろうとして、社会との関係を断っていく状態
    → 孤立、不安、社会不適応

どちらも、「性格の問題」でも「努力不足」でもありません。

ホロンとしての調和が崩れているだけなのです。

未病とは、
「病気になる前の状態」ではなく、
全体性と部分性が静かにズレ始めた状態と捉えることができます。

生命は、この矛盾をどう解いているのか

ここで、生命の世界に目を向けてみましょう。

私たちの体を構成する細胞は、
一つひとつが自律した存在です。

同時に、細胞は組織や臓器の一部として働いています。

健康な細胞は、

  • 自分を失って働いているのではありません
  • 犠牲になっているわけでもありません

自分でありながら、全体の一部として機能しているのです。

これは、単細胞から多細胞への進化がもたらした、生命の大きな成功です。

この生命の智慧は、そのまま人間の生き方にも当てはまります。

調和している個人に共通する特徴

個体レベルでホロン的調和が保たれている人には、共通点があります。

  • 無理な我慢を続けていない
  • 役割と自己を混同していない
  • 疲れたときに、立ち止まることができる
  • 他者との間に、適切な境界がある
  • 結果として、自然な協調が生まれている

特別な能力ではありません。
ただ、生命として自然な状態に近いだけです。

ここで、少し立ち止まって考えてみてください。

今のあなたは、どこで無理をしているでしょうか。
それは、全体性でしょうか。部分性でしょうか。

個体レベルの調和が、社会を支えている

社会の調和を、直接つくろうとする必要はありません。

個人がホロンとして調和して生きるとき、
その在り方は、必ず周囲に影響を与えます。

  • 支配しない
  • 過剰に依存しない
  • 無理な同調を求めない

こうした個人が増えると、
社会は「整えられなくても」安定し始めます。

これは副次的な効果ですが、
最も持続的で、最も自然な社会への貢献です。

おわりに

未病は、体だけの問題ではありません。
生き方の問題でもあります。

自分らしさと社会適応は、対立しません。
それは、ホロンとして自然に生きるとき、同時に成り立つものです。

次回は、視点をさらに一段引き上げ、
社会そのものを一つの生命システムとして見たときに現れる「社会レベルの未病」について考えていきます。

個人の不調と、社会の構造は、
実は深いところでつながっています。

第5回「社会レベルの未病」を読む→

 

「ホロン的調和と未病」は、以下の3部(全8回)で構成されています。

【第1部:未病を問い直す】
第1回|未病とは何か? ― 病気の手前ではなく、「調和のゆらぎ」としての未病
第2回|ホロンという視点 ― 私たちは「全体であり、部分でもある」存在

【第2部:生命はどう調和しているのか】
第3回|細胞レベルのホロン的調和 ― 健康な細胞は、どうやって全体と協調しているのか
第4回|個体レベルのホロン的調和 ― 自分らしさと社会適応は、両立できる
第5回|社会レベルの未病 ― 社会もまた、ひとつの生命システムである

【第3部:調和の中で生きる】
第6回|調和させるのではなく、調和の中で生きる ― 無為自然・禅・縄文的在り方との接続
第7回|ホロン的調和としての健康 ― 健康とは、コントロールではなく統合である
第8回|未病を学ぶということ ― 生命の調和を観察し、育てるという知性

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