個体レベルのホロン的調和 ― 自分らしさと社会適応は、両立できる
はじめに
「自分らしく生きたい」と思えば思うほど、社会の中では生きづらくなる。
一方で、社会に合わせようとすればするほど、自分がすり減っていく。
多くの人が、この二つの間で揺れ続けています。
自分らしさか、社会適応か。
自由か、責任か。
けれども、この問いの立て方そのものが、私たちを苦しめているのかもしれません。
なぜなら、生命の世界では「自分であること」と「全体の一部であること」は、本来対立していないからです。
私たちは「一人で完結した存在」ではない
私たちはつい、自分を「一人の個体」として捉えがちです。
しかし実際には、人は常に、家族、職場、地域、社会といった関係の網の目の中で生きています。
それでも、その中で「個」が消えてしまうわけではありません。
社会の一部でありながら、同時に一人の存在として生きている。
この「全体であり、同時に部分でもある存在」を表す概念が、ホロンです。
ホロンという視点に立つと、
「社会に属すること」自体が問題なのではない、ということが見えてきます。
問題は、どのような状態で属しているかなのです。
個体としての全体性とは何か ―― 自律・自由・自己一致
個体としての全体性とは、
自分勝手であることでも、わがままであることでもありません。
それは、
- 自分の感覚が分からなくなっていない
- 何が大切かを、内側で感じ取れている
- 無理をしていることに、気づける
という、ごく静かな状態です。
全体性が保たれている人は、派手ではありません。
しかし、どこか自然で、無理がありません。
一方、この全体性が弱まってくると、
- いつも疲れている
- 休んでも回復しない
- 何をしても満たされない
といった「なんとなくの不調」が現れ始めます。
これは、病気ではありません。
しかし、明らかに健康とも言えない。
この段階こそが、未病です。
部分としての部分性とは何か ―― 協調・役割・人倫
社会の中で生きる以上、私たちは必ず何らかの役割を引き受けています。
- 親として
- 医療者として
- 教育者として
- 組織の一員として
この「部分としての働き」を、ここでは部分性と呼びます。
部分性というと、
「自分を抑えること」「我慢すること」と感じる人も多いかもしれません。
しかし本来、部分性とは服従ではありません。
それは、関係を壊さずに生きるための機能です。
大切なのは、
役割を「自分そのもの」と同一化しないこと。
役割は、着るもののようなものです。
必要なときに着て、役目を終えたら下ろすことができる。
この距離感が失われると、未病が始まります。
未病は「全体性と部分性のズレ」から始まる
個体レベルの未病は、多くの場合、
全体性と部分性のバランスが崩れたところから始まります。
たとえば、
- 社会に適応しすぎて、自分の感覚を押し殺している状態
→ 過剰適応、バーンアウト、抑うつ、慢性疲労 - 自分らしさを守ろうとして、社会との関係を断っていく状態
→ 孤立、不安、社会不適応
どちらも、「性格の問題」でも「努力不足」でもありません。
ホロンとしての調和が崩れているだけなのです。
未病とは、
「病気になる前の状態」ではなく、
全体性と部分性が静かにズレ始めた状態と捉えることができます。
生命は、この矛盾をどう解いているのか
ここで、生命の世界に目を向けてみましょう。
私たちの体を構成する細胞は、
一つひとつが自律した存在です。
同時に、細胞は組織や臓器の一部として働いています。
健康な細胞は、
- 自分を失って働いているのではありません
- 犠牲になっているわけでもありません
自分でありながら、全体の一部として機能しているのです。
これは、単細胞から多細胞への進化がもたらした、生命の大きな成功です。
この生命の智慧は、そのまま人間の生き方にも当てはまります。
調和している個人に共通する特徴
個体レベルでホロン的調和が保たれている人には、共通点があります。
- 無理な我慢を続けていない
- 役割と自己を混同していない
- 疲れたときに、立ち止まることができる
- 他者との間に、適切な境界がある
- 結果として、自然な協調が生まれている
特別な能力ではありません。
ただ、生命として自然な状態に近いだけです。
ここで、少し立ち止まって考えてみてください。
今のあなたは、どこで無理をしているでしょうか。
それは、全体性でしょうか。部分性でしょうか。
個体レベルの調和が、社会を支えている
社会の調和を、直接つくろうとする必要はありません。
個人がホロンとして調和して生きるとき、
その在り方は、必ず周囲に影響を与えます。
- 支配しない
- 過剰に依存しない
- 無理な同調を求めない
こうした個人が増えると、
社会は「整えられなくても」安定し始めます。
これは副次的な効果ですが、
最も持続的で、最も自然な社会への貢献です。
おわりに
未病は、体だけの問題ではありません。
生き方の問題でもあります。
自分らしさと社会適応は、対立しません。
それは、ホロンとして自然に生きるとき、同時に成り立つものです。
次回は、視点をさらに一段引き上げ、
社会そのものを一つの生命システムとして見たときに現れる「社会レベルの未病」について考えていきます。
個人の不調と、社会の構造は、
実は深いところでつながっています。



