論語に学ぶ(前編)── 雛鳥の羽ばたきに学ぶ、楽しく学ぶ方法

はじめに:学びが「重い」と感じるのは、あなたのせいじゃない

ある受講生が、ぽつりと言いました。
「漢方や未病、養生の勉強は好きなんです。でも、なぜか最近、楽しくないんです。学んだことが、自分の毎日の選択にうまく降りてこない。家族や友人に説明しようとしても言葉が出てこないし、医療者として患者さんに伝えたい場面でも、知識が“棚の上”のままなんです」と。

こういうとき、つい「もっと覚えなきゃ」「まだ足りないのかも」と自分を追い込みがちです。

けれど私は、これは能力や意志の問題ではなく、学びがいったん「知識の保管」で止まってしまっているサインだと思っています。

そんなとき思い出したいのが、『論語』の一番はじめの一句──
「学而時習之、不亦説乎(学んで時に之を習う、また説〔悦〕ばしからずや)」です。

では、その「棚の上の知識」を、暮らしと臨床の地面へ降ろす鍵は何か──『論語』の「習」という一字を、いったん“復習”という意味から解放して眺めてみましょう。

主な内容
・「学而時習之」を、学びの“運用マニュアル”として読む
・楽しく学ぶ3つのコツ(漢方未病の学びを“実践で習う”ために)
・本当の「過ち」は、改めないこと


「学而時習之」を、学びの“運用マニュアル”として読む

「習」—学びは、雛鳥の羽ばたきから始まる

私たちはつい「習う=復習」と思いがちですが、漢字の由来は生き物の動きに根ざした、具体的なイメージです。
「習」は、ひな鳥が日の当たる方に向かって羽ばたき、飛ぶ練習をする姿から来ている、と説明されています(漢字ペディア)。

ここで視界が変わります。
「学ぶ」は頭に入れることでも、「覚えること」でもなく、“飛べるようになるまで羽ばたく過程”になります。

ここで言う「学び」は、知識の継承というより、知恵の継承に近いのだと思います。
古語では「学ぶ」を「まねぶ」と読むとも言われます。先人の型をいったん真似てみて、身体で繰り返し、自分の暮らしと臨床に合う形へ調えていく——その入口が、雛鳥の「羽ばたき(習)」です。

「時に」—“合図”で学びを起動する

「時に」は「時々(ときどき)」と読む解説も多く、学び直しや復習の大切さを思い出させてくれる読み方です。

一方で本記事では、もう一つの読みとして、「時に」を予定表の“時々”ではなく、然るべき時に(その時その状況に応じて/折に触れて)という意味で捉えてみます。この読み方に立つと、「学而時習之」は、知識をしまっておく言葉ではなく、必要な場面で起動する“運用マニュアル”として立ち上がります。

つまり、身体がサインを出した瞬間、会話の流れが整った瞬間、説明が必要になった瞬間に、学びを起動できる状態のこと。漢方未病や養生のように、暮らしと現場の中で学びを使っていく領域では、特にこの読みがよく噛み合います。

「悦(説/悦)」—結果より先に、“羽ばたいた自分”を悦ぶ

論語が言う「説(悦)」は、大成功の歓喜というより、学びが生きて動き出すときの、静かな内側の灯りです。
学んで実践して(習)、うまくいく日も、うまくいかない日もある。けれど学習者の目は「出来なかったこと」に偏りやすく、自己批判が強まると、次の挑戦を恐れて「時に習う」が止まってしまいます。

だから重要なのは、「何を悦ぶか」です。
“うまく出来たこと”ではなく、実践できていること(=小さく挑戦できていること)そのものを悦ぶ。雛鳥で言えば、「飛べた」かどうかではなく、まず羽ばたいた事実を悦ぶのです。

これは視点の切り替えでもあります。雛鳥の視点(失敗を数える眼)から、親鳥の視点(成長の過程を見守る眼)へ。
私たちには自己観察能力があるからこそ、自己批判にも、自己を優しく見守ることにも使える。この視点に立てると、「時に習う」こと自体が悦となり、学びは義務から自走へと変わっていきます。


楽しく学ぶ3つのコツ(漢方未病の学びを“実践で習う”ために)

コツ1:「習う」ために、学んだらすぐ「小さく羽ばたく」(最小実践)

漢方や未病、養生の勉強を“完成してから実践”にしない。まずは先人の型を少しでも学んだら、それを真似て、小さな挑戦として実践してみる

  • 今日の学びを「1文」で言い換える
  • 家族・同僚・患者さんに話すなら「3行」にする
  • 自分の生活に当てて「1個の行動」にする(今夜から/明日から)
  • 「こういう場面ならこう使う」を1例作る(家族/同僚/患者さん等)

→「習」は、飛ぶ前の羽ばたきから始まる。

コツ2:「時に」を“合図”に結びつける(トリガー化)

「毎日◯分」より、「この場面が来たら必ず使う」を作る。

  • 冷え、睡眠の乱れ、胃腸の違和感、気分の揺らぎなど、身体の合図が出たとき
  • 症状はあるのに検査で異常が無かったとき
  • 漢方薬の処方や服薬指導をするとき
  • 健康問題が話題になったとき

など、既にある場面に紐づける。
→ 「然るべき時に」の発想に合う。

コツ3:「悦(説/悦)」を回収する(“羽ばたけた”の言語化)

学びを続けられる人は、「できた/できない」で自分を裁く前に、“今日も習えた(羽ばたけた)”という悦を回収しています。
そのためにおすすめなのが、実践の直後に1行だけ書くことです。

書くのは“正解”ではなく、親鳥の視点で自分を見守る記録。たとえば――

  • 今日、何を試せたか?(羽ばたけた事実)
  • 何が起きたか?(相手の表情/言葉/自分の身体感覚の変化)
  • 次は何を1つ変えるか?(改めの一手)

→ こうして悦を回収できると、学びは義務から楽しみに変わり、次の「習う(羽ばたく)」が軽くなります。そして1行書けると、“次にどこを改めるか”まで自然に見えてきます。


おわりに:本当の「過ち」は、改めないこと

そして最後に、孔子は学びにこういう終止符を打ちます──「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」(『論語』衛霊公)。
ここで言う“過ち”とは、挑戦して転ぶことではありません。新しいことを学び、実践し、うまくいかない――それはむしろ自然なことです。

過ちとは、転んだ自分を責め続けて、次の一手を閉ざしてしまうこと。
羽ばたいたあとに、どこを少し直すか――その「改め」を手放したとき、学びは止まります。
そうして少しずつ、棚の上の知識は、暮らしと臨床の手もとへ降りてきます。

この定義に立てば、うまくいかなかった日は「失敗」ではなく、調整点が見えた日になります。
だからこそ、「学んで時に之を習う」は、いまも変わらず、学びを軽く、そして楽しくする最短の道なのだと思います。

ところで、あなたの学びには、志を共有できる「朋」がいますか。次回は、学びを加速させる“朋の力”を、いまの時代の学び方として読み解きます。


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