未病の段階的漢方ケア~薬局を入口に、医療を要所に~

はじめに:未病は「暮らしの揺らぎ」から始まる
薬局のカウンターには、毎日いろいろな「痛み」や「つらさ」が届きます。けれども、その多くは、検査値の異常としては現れてきません。頭痛、めまい、更年期様症状、胃腸の不調、慢性疲労、腰の痛み、睡眠の問題。本人は確かにつらいのに、どこか「病名」に落ちない。説明が難しく、周囲にも伝わりにくい。だから孤独になりやすい。――未病とは、そういう領域です。
ここで私たちが陥りがちなのは、二つの極端です。
一つは、「異常がないなら様子を見よう」と、日常の中へ押し戻してしまうこと。もう一つは、「心配だから病院へ」と、入口の段階から医療機関へ集めてしまうこと。前者は放置になり、後者は医療資源の過負荷になりやすい。どちらも、未病にとっては最適解になりません。
未病の輪郭は、しばしば“暮らしの揺らぎ”として立ち上がります。症状そのもの以上に、眠れない、働けない、家事が滞る、人に会うのが億劫になる、といった暮らしの揺らぎが静かに積み重なる。その揺らぎを「まだ回っているうち」に整えることができれば、未病は軽く済みます。反対に、揺らぎが大きくなってからでは、治療は難しくなり、長期化し、患者の人生のリズムごと崩れてしまいます。
だからこそ、地域医療に必要なのは「薬局か医療機関か」という二択ではありません。必要なのは、もっと古くて新しい考え方――入口と要所をきちんと作ることです。入口は薬局、要所は医療。未病を“段階的に”扱う設計にする。これが本稿の提案です。
なお、伝統医療を「安全性と有効性の根拠に基づき、保健医療システムへ統合していく」という世界的な方向性は、近年より明確になっています。入口=一次医療の場に統合モデルを置くことは、まさにその流れの中にあります[WHO]。
本稿の見取り図:暮らしを語り、生活機能で測る
本稿では、未病を捉える言葉として「暮らしが回る/回らない」という表現を使います。これは患者の実感に近い“語り口”です。
ただし、導線を設計し医療資源を配分する場面では、同じ内容をより客観的に扱うために「生活機能」という“指標”に言い換えます。生活機能は、QOL(quality of life)尺度など既存の評価指標を用いて、一定の形で把握することが可能です。
「暮らし」は現場の言葉、「生活機能」は設計の言葉――この二つを往復しながら、未病を段階的に扱う方法を提案します。
主な内容
・未病の入口に「薬局」という交通整理役を置く
・結論:未病は「暮らしの回り方(生活機能)」で導線を変える
・未病の三段階:判断基準は「暮らしが回っているか」
・軽症は、薬局で“完結してよい”
・中等症は、医師のチェックを「必須の関門」にする
・重症は医療機関主導:それでも薬局の仕事は終わらない
・仕事が増えるのではなく、仕事が整う
・成果はどこに現れるか:未病は「成績」で語れる
未病の入口に「薬局」という交通整理役を置く
未病が難しいのは、症状が曖昧だからではありません。未病が難しいのは、「まだ重症ではないのに、確かにつらい」という中間地帯だからです。ここに人が溜まると、医療は混み、説明は短くなり、不安は増え、受診は反復し、検査は重複し、ますます“治りにくい未病”へと変質していきます。
一方で、薬局は地域の中で、もっとも患者に近い医療資源の一つです。処方せんがなくても、相談は届きます。通院の合間にも、暮らしの変化にも、薬の飲み方にも、日々の困りごとにも、アクセスできる。言い換えれば、未病の入口に立てる職種が、すでにここにいるということです。
つまり、未病の段階的ケアとは、地域医療の交通整理そのものです。救急のように命の優先度を決めるのではなく、「暮らしが回るか」を守る優先度を決める。ここに漢方の思想――「未だ病まざるを治す(未病を治す)」が、現代の地域医療の設計思想として再登場します。
結論:未病は「暮らしの回り方(生活機能)」で導線を変える
未病をうまく扱う鍵は、「症状の強さ」ではなく、「生活機能の損なわれ方」を軸にすることです。理由は単純です。地域の医療資源は有限であり、限られた資源を最も必要なところに配分するには、“どれだけ困っているか”を測る物差しが必要だからです。検査値は未病の物差しになりにくい。ならば、暮らし(実感)を、生活機能(QOL)という指標に翻訳して物差しにする。
この発想は、MUPS(医学的に説明しにくい身体症状)領域でも、「段階的ケア(stepped care)」として研究・議論されてきました。国内でも段階的ケア体制の開発を扱った研究成果が公開されています
[科研費成果報告書(19K22738)]。
ここから先は、未病を次の三段階に分け、それぞれに最適な導線を用意します。薬局の仕事が、いきなり“何でも屋”にならないように。医療の仕事が、いきなり“全部引き受け”にならないように。お互いが最も力を出せる場所を、あらかじめ決めておくのです。
未病の三段階:判断基準は「暮らしが回っているか」
軽症:自覚症状はあるが、生活機能の低下なく、暮らしに問題なし
軽症は、つらさはあるけれど、仕事・家事・睡眠などの生活機能が概ね保たれている状態です。本人は「気になる」「不快だ」と言う。しかし暮らしに問題はない。未病の入口として最も多い層であり、同時に最も“整えやすい”層でもあります。
中等症:自覚症状+生活機能の低下あるも、暮らしは回っている
中等症は、つらさが生活機能に影響し始めています。学業や仕事の質が低下する、家事が滞る、眠れず日中の集中力が落ちる、外出が減る。けれども、まだ何とか暮らしを回している。ここが、未病が長期化する分岐点になりやすい。薬局の関わりも重要になりますが、同時に医療の「要所」が必要になる領域です。
重症:自覚症状+生活機能の低下が著しく、暮らしが回らない
重症は、生活機能が明確に障害され、暮らしが回らない状態です。仕事や家事が立ち行かず、日常の維持が困難になります。この段階では、薬局が入口ではなく、医療機関が主導権を持つべきです。薬局は、治療が走り出した後の継続支援という形で力を発揮します。
軽症は、薬局で“完結してよい”
軽症の未病に対して、薬局は本来、非常に強い場所です。理由は「近い」からです。近いとは、距離の話だけではありません。生活の近くにいる。患者の変化の近くにいる。継続の近くにいる。未病のケアで最も大事な「小さな変化を見逃さない」ことに、薬局は向いています。
この段階では、薬局でのOTC対応が現実的な選択肢になり得ます。OTCは、専門家が相談に応じ、情報提供を行いながら使われることが前提として制度に組み込まれています[第一三共ヘルスケア]。
ただし、未病のOTC対応で最も大切なのは、「始めること」ではなく「終わらせ方」です。ここで言う終わらせ方とは、やめるという意味ではありません。評価する、切り替える、次へつなぐ。その“出口設計”を持つという意味です。
軽症の運用は、考え方としてはとても簡潔です。患者の話を聞くとき、症状の名前を増やすのではなく、暮らしの情報を増やす。眠れているか、働けているか、家の中が回っているか。それが保たれているなら、薬局でできることをまず丁寧に行う。
そして、あらかじめ短い期限を切って再評価する。改善が乏しい、悪化している、不安が増している――そうなったときに、次の導線へ自然に乗せる。
軽症を薬局で完結させるとは、“薬局で抱える”ことではなく、“薬局で交通整理する”ことです。
中等症は、医師のチェックを「必須の関門」にする
中等症では、薬局が関わり続ける価値は大きい一方で、一度は医師のチェックを受けることが必要になります。これは「薬局では無理だから」ではありません。むしろ逆です。薬局がしっかり役割を果たすために、医療の要所が必要なのです。
理由の第一は、安全性です。未病の顔をした別の病態が隠れていることは、現実にあります。レッドフラッグ(見逃すと生命に関わるような重篤な疾患を示唆する兆候・症状)を見落としたまま、生活指導やOTCで粘り続けるのは、患者のためにも地域のためにもなりません。中等症は、その安全確認を一度入れるべきラインです。
理由の第二は、長期化予防です。未病の難しさは、「不安が不安を呼ぶ」ところにあります。説明がつかないまま、医療機関を渡り歩く。検査が重なる。異常がないと言われるほど不安になる。こうしたループが起きる前に、段階を区切り、適切な介入の形を選ぶ必要があります。MUPS領域で段階的ケアが研究されている背景にも、この長期化ループの問題があります[科研費成果報告書(19K22738)]。
理由の第三は、信頼形成です。未病の患者は、ときに「わかってもらえない」経験を積み重ねています。ここで医師のチェックが一度入ることで、「必要な評価は受けた」という安心の土台ができます。その土台があると、薬局での継続支援がぐっとやりやすくなる。患者は、薬局の提案を“やってみよう”と思いやすくなります。
中等症で重要なのは、薬局と医療機関が同じ患者を別々に見るのではなく、同じ患者を違う角度から支えることです。薬局は生活の運用者として、医療は安全と方向性の決定者として。OTCと医療用の違いは、「買い方」の違いである以上に、「責任の置き方」の違いでもあります。一般向けにも、OTCは薬剤師・登録販売者が情報提供や相談に応じる仕組みであることが説明されています[中外製薬]。未病の段階的ケアは、この“相談と責任”の構造を、地域の中で最適化する試みだと言えます。
重症は医療機関主導:それでも薬局の仕事は終わらない
重症は、医療機関で医師主導の治療が必要です。ここを曖昧にすると、薬局も医療も疲弊します。重症の患者にとっても、不幸です。だから「要所は医療」と言い切る価値があります。
ただし、医療機関主導になった瞬間に、薬局の役割が消えるわけではありません。患者は診察室の外で生活しています。服薬が続くか、併用が増えていないか、副作用をどう捉えているか、日々の変化はどうか。こうした情報は、薬局が最も拾いやすい領域です。重症の局面で薬局が支えるのは、入口ではなく「継続」です。
地域包括ケアの中で、薬剤師・薬局が多職種連携の一員として地域機能を発揮している事例は、日本薬剤師会の事例集にも整理されています[日本薬剤師会 事例集]。未病の段階的漢方ケアは、その延長線上にあります。ただ対象が「要介護」や「在宅」だけでなく、もっと手前の「暮らしが揺らぎ始めた層」にも及ぶ、という意味で未来志向なのです。
仕事が増えるのではなく、仕事が整う
この提案は、薬局の業務を増やすための話ではありません。むしろ逆です。未病の相談が増える今、何の設計もないまま受け止めれば、相談は“無限”になり、薬局の仕事は消耗戦になります。だから、段階を切り、導線を作り、役割を分ける。仕事を減らすというより、仕事を整えるのです。
軽症は薬局で完結してよい。ただし、短い期限で評価し、次へつなぐ出口を持つ。
中等症は医師のチェックを必須の関門にする。安全性を担保し、長期化を防ぎ、信頼を作る。
重症は医療機関主導とし、薬局は継続支援へ回る。
この三段階を共有できれば、患者は迷わなくなります。薬局も迷わなくなります。医療機関も迷わなくなります。何より、地域の医療資源が「本当に必要なところ」に集まりやすくなる。未病を段階的に扱うとは、そういう“地域の作法”を作ることです。
成果はどこに現れるか:未病は「成績」で語れる
最後に、このモデルは理念だけで終わらせたくありません。未病は「成績」で語れます。
暮らしが回るようになったか。欠勤が減ったか。家事が戻ったか。睡眠が整ったか。患者が納得し、安心し、継続できたか。受診回数が落ち着いたか。検査の重複が減ったか。救急受診が減ったか。これらは、地域にとっても、薬局にとっても、患者にとっても意味のある成果です。
未病は、放っておくと曖昧さが増えます。しかし、段階を切り、役割を分け、導線を作ると、驚くほど輪郭がはっきりします。漢方の言葉でいえば、未病は「捕まえどころがないもの」ではなく、「整える順番があるもの」です。薬局を入口に、医療を要所に。その順番を地域に実装することが、これからの未病ケアの基盤になるはずです。
参考文献・関連資料
WHO:Global Traditional Medicine Strategy 2025–2034(安全性・有効性の根拠に基づく統合の方向性)
WHO
OTCにおける薬剤師・登録販売者の役割(一般向け整理)
第一三共ヘルスケア
医療用医薬品とOTCの違い、相談・情報提供の位置づけ
中外製薬
地域包括ケアにおける薬剤師・薬局の取組事例集(日本薬剤師会)
日本薬剤師会PDF
MUPS領域の段階的ケアに関する国内研究成果(科研費 19K22738)
科研費PDF


